Posted by on 2018年03月16日 in 風の心
平成30年4月号 風のこころ

(前月からの続き)

玄々斎好みの寒雲棚を、円能斎が再び好んだものを、向切に置いた。この棚の前では、私の身長や座高で、どのように点前をすべきか考える。未熟な私にとって、ここでの向切の炭、特に後炭は難しく、今迄できていたことが同じようにはできない。これは、この時なりの工夫が必要で、まだまだ修練や努力が足りず、一から出直しである。

今回は茶通箱で茶カフキを行った。玄々斎と、17歳で大変惜しまれて亡くなったご子息、優秀な一如斎との合筆の茶通箱は、大好きな道具である。折に触れて、お道具屋さんに茶通箱が欲しいと伝えていたところ、暫くしてご縁があった。玄々斎の手紙が沿っている。この箱を触るたびに、幕末のお二人へ、心を込めて点前をする。特に、一如斎がそこにいるかのように感じる、蓋裏の「父好」という文字から(一如斎は、この文字を13歳で書いている)、伝わってくるものがある。早世された無念の思い、見送る親の悲壮な心、周りの方々の悲しみ、幕末に亡くなった彼がもし生きていたら、明治のお茶はどうなったのか、思いは次々に湧いてくる。以前、一如斎が八歳で「寿」とお書きになったお軸を拝見したが、見事なものだった。この方はどのような方だったのか、これからも深く勉強しなくてはいけない。

茶カフキは、ご存知のように執筆を必要とする。そのお役をある方にお願いした。待光庵たよりに、平成28年8月から3回に渡って、足を怪我してしまったお弟子さんのお話を書かせて頂いた。その彼女である。足を悪くする以前から習字を学び始めた彼女は、一生懸命筆を動かす修練を繰り返していた。努力は結果に表れ、美しい文字を書けるようになった。
足の怪我は、ゆっくりだけれども着実に回復し、何度も試練にぶつかりながら、頑張って体を使っている。ある程度直っても、人生とはそのまま生きてゆかねばならない。毎日、毎日・・・思い通りには動かない身体と向き合い、受け入れながら、いや受け入れようと努力しながら、前を向いて歩んでいく。そして現在、彼女はテーブル抹茶教室へ参加し、立礼の稽古に戻れるほどになった。あの美しい白い手が、再び棗を清め、茶筅を振って、見事な抹茶を点てている。諦めないでくれて、嬉しかった。
そんな彼女だからこそできることがある。畳の上の茶席で、執筆という大切な役割を、十分果たすことができると考えた。茶道とは、様々な側面を含む懐の広い、深いものだからこそ、人ひとりひとりの居場所があっていいと思う。そうでなくてはいけない。執筆をする時だけ茶事に参加した彼女は、見事に整った気持ちの良い文字で、茶カフキの結果を奉書に書いた。席中の方々を、幸せな気持ちにしてくれたのである。有難かった。彼女も含め、受付管理事務係、寒い中水を撒き裏の仕事を引き受ける水屋係、全てのメンバーがいて初めて茶事が成り立ち、お客様との楽しいひと時が出来上がる。頑張っている皆に、心から感謝をしている。

後炭の後、亭主点の員茶を行った。六代宗哲の雪吹には八重の梅の花びら、その蒔絵が生き生きとして力強かった。最近の最もお気に入り、日本橋榛原の蛇腹便箋をお土産に、登美子奥様お使いのお福さんとねじり棒もご堪能頂き、薄茶のひと時で茶事を終えた。

今回の茶席に掛けた360年前の大西初代、浄林の釜は、六音に変化して鳴き、耳に入る都度胸を打つ。そんな釜の横に座り、古の人々に、今の人々に想いを寄せる。この一瞬に、心が溶けるような、喜びを感じている。

平成30年3月7日  畑中 香名子