
畑中 香名子
大変遅ればせながら、やっと奄美大島で行われた和合の茶会の写真を、皆様にお渡し出来た。その事がとても嬉しかった。写真を見ながら、楽しかった旅を再び思い出し、大宗匠のお茶が戦死者へ供えられた瞬間、皆の心が一つになった時の事がよみがえると、皆様にお手紙を添えたくなった。
数日後、或る方よりお返事を頂いた。そのお手紙には、以前、年老いたお母様が、戦死したご主人である父上様をグアム・サイパンへ御弔いに行かれた話が書かれていた。その中に、お母様慰霊の旅の手記が添えられている。以下御許可を賜り、抜粋して書かせて頂く。
『米軍は6月11日、マリアナ諸島に対して攻撃を開始。戦闘は日本の苦戦となっていきました。食無し、水無し、兵器無しでは大和魂を如何にすべきもなく、無念の涙に暮れたことでしょう。弾薬も、兵器もなく、総攻撃に対して為す術もなく、地獄谷を最後に全員玉砕して果てたそうです。―中略―
軍人、民間人、非戦闘員の血と涙、追い詰められ、バンザイを絶叫して飛び込んだとされる海は、波しぶきが荒く、叫んでいるように聞こえ、持参した花束や菓子を幾ら投げても舞い上がって、受け付けてくれませんでした。その無念さを思うと去り難く、いつまでも佇んでおりました。いよいよサイパンと別れる朝、私は髪を切って、海へ流しました。そして白い貝殻を、掌一杯拾いました。沢山の思いを残して逝かれた皆様、「さようなら。」海底の霊魂よ、「さようなら。」最後に「あなた、ご苦労様でした。」
南海に咲かずに散りし若桜に
捧げんものと嫁人形折る』
海は多くを物語っている。本当に多くの事を多くの人に・・・。
それは結婚して間もない頃のことだった。まだ子供が生まれる前だったので、主人に誘われて水大嫌いの私がスキューバーダイビングを始め、ライセンスを取った後、あちこちと美しい海へ潜りに行っていた。ある時は自主トレと称して1人で海外へ行き、何本も潜ることを繰り返しながら生物の営みに感激を覚え、陸と同じか、それ以上の広い世界が海中に有ることに、心を奪われていた。そんな中、主人と2人でフィリピンのセブ島へ潜りに行った時のこと。舟で沖に出て間もなく、彼はおもむろに鞄から小さな日本酒の瓶を取り出し、栓を開け、瓶を逆さにして海面に向かってこぼし始めた。
今思い出しても、「どうしたの?」と尋ねた自分がどれだけ恥ずかしかったことか。「香名ちゃんのおじいちゃんもフィリピンで戦死したんでしょう?」と答えが返って来た時、今自分が何処にいるのか、そこで何をしているのか、思い知らされた。それまで感じ持っていた私の美しい海中の世界は、その瞬間に深さを増して、今生きている自分と、亡くなった祖父とがつながる場所のような気がした。おそらく苦しんで、家族を残して逝く無念の思いを抱きながら亡くなった、祖父のいるルソン島の方向を教えてもらい、手を合わせた。
これは決して私の為では無いことは、明らかにわかっていた。理系で、論理的で、合理性を追求するようなその人が、自分の肉親ではない戦死者の為に、そのボロの鞄に1本の日本酒を隠し持ってきたことに、まだまだ「人」というものを知らない幼い自分を痛感した事を思い出す。
それぞれの方にそれぞれの胸の内がある。それは外からではわからない。その人だけがわかるものだと思う。けれどわからなくても、人は人の姿に学ぶことができる。自分が学ぼうとする姿勢を持ってさえいれば。そんな目線で物事を考える気持ちさえあれば・・・。
平成24年4月19日
|バックナンバー|
