Posted by on 2019年01月25日 in 風の心
平成31年2月号 風の心

さびしいとき

私がさびしいときに、
よその人は知らないの。

私がさびしいときに、
お友だちは笑うの。

私がさびしいときに、
お母さんはやさしいの。

私がさびしいときに、
ほとけさまはさびしいの。

26歳で夭折した、金子みすゞの詩である。この他に有名な「私と小鳥と鈴と」、「こだまでしょうか」を選び、初釜での子供達による香煎席で、朗読を試みた。毎回子供たちには、その真剣な姿勢の中に、純粋な感動と貴重な気付きをもらっている。

12月に入ると、子供稽古をしていても、「先生、また初釜で何かやりますか」という言葉が出てくる。ここ数年恒例になってきた、初釜での子供席は、年によって子供が少なかったり、その日に学校があって参加できない子がいたりしながらも、何とか綱渡りで毎年行われて来た。90人近いお客様の前で、7席、8席こなすのだから、子供といえども一人前に近い状態で頑張っている。

稽古中、毎回必ず、それが点前中でも客に入っている時でも、「先生、今ので短歌を作りました。」と、披露してくれるNちゃんは、その短歌を歌会のように読み上げてくれる。4年生の彼女は何度も指を折り、言葉の数を整えてから、朗々と披露する。本人の点前は手が止まり、客は全く聞いていなくても、そのチャンスを逃さずに発表させる。茶を点てる事よりも、それが重要だからである。その日作ってくれたのは、釜から上がっているその湯気が茶色く見えるという短歌であった。釜の肌の色が湯気に重なっているのだろうが、彼女の眼ははっきりと物を捉えている。
彼女が読むその物言いに、この子は朗読に心が入るのではないかと感じた。「詩を朗読してみる?」と言って宮沢賢治の「雨ニモマケズ」をやってもらうと、やはり自然体でその詩の中に入り込む。凄いと思ったのは、一度その詩の全容をかなりの集中力でじっと黙読してから、静かにわからない漢字を尋ね確認し、おもむろに読みだすのである。彼女の声を聴いて、稽古場の皆がシンとなり、時が止まったようだった。であれば、今回はこれでいこうと、数年ぶりに詩の朗読を行うことにした。選んだのは金子みすゞ。Nちゃんには、「さびしいとき」が合う気がしたのだ。

他の子供達にも、それぞれに合う詩を選んで、中学生以上には英語も使ってもらい、7日の初釜ではその朗読が皆様の心に響いた。驚いたことに、回が進むにつれ、子供たちの朗読にどんどん気持ちが表れ、表情が変わってくる。その詩はあなたが作ったのですね、と言いたくなるくらい、感情がこもっていて引き込まれた。本当に、気持ちの良い程上手になっていった。

何にも染まっていない時期に、茶筅を振り、お菓子を食べて茶を喫しながら、詩を詠み花を生け、庭を歩き空を見上げ、風や鳥の声を聴き、時にはじゃれ合い時には怒られながら、彼らは感じ、自分で自然と感性を育てる。その育っている感性に、大人が気付かされる。
今年もまた、感謝で始まった。子供たちの澄んだ美しい眼に、我々が映っているということを忘れずに、精進を重ねていきたい。

平成31年1月20日 畑中香名子