Posted by on 2019年03月22日 in 風の心
平成31年4月号 風の心

私立中学1年生の、茶道の授業を受け持っている。毎年4月に入学してから、1年間で30時間前後の授業を行う。生徒さんたちは、小学校から上がったばかりのピカピカの1年生。初めて制服を着る子供も多く、目をキラキラとさせて、新品のノートを前に真剣なまなざしを向けてくれる。そんな彼女たちとの一年が始まる。

最初は、茶道に使用する道具の名前、使い方や使う目的などを話すことから始まる。初めて触れる帛紗、扇子、懐紙・・・全てが今まで見たことも聞いたこともないものだらけ。子供たちにとっても新鮮な言葉、新鮮な感触でスタートし、何回かの授業を教室で行っていると、いつになったら和室へいけるのか、いつになったらお菓子が食べられるのかと、お茶がやりたいという気持ちが高まって来る。そうなって初めて、和室での授業が始まる。これが中学1年生へのやり方。
さすが子供達、割稽古はすぐに覚える。子供の心に残る言葉、表現を使って教えるせいか、そのうちに私と同じ言葉を輪唱しながら帛紗を捌く。緊張感と面白さと、そして何より体を使った稽古が、あっという間の50分を通り過ぎる。子供の稽古はテンポが大切。
足が痛い気持ちも良く分かる。此処は運動選手としての経験が役立ち、時折入れるストレッチ、そして座禅。中にはやりたくない子供もいるし、新鮮さが無くなれば飽きも来る。同じことの繰り返しを好むことは少なく、何か目を引くものがないとやろうとしない事もある。そんな時は切り替えが大切なので、静と動のバランスを取りながら、形としての点前完成へ、一歩一歩積み上げる。
しかし、最も大切なのは、心の教育。目を見て人の話を聞き、自分の頭で考え、思った事を言葉にする。その中で他人を想い、自己を反省し、前向きに行動していく。こんな風に言うのは簡単でも、行うのは難しい。昔に比べて、最近の子供たちは返事がない、言葉にしない、口を開かないことが多い。此処を切り崩してゆくところから始まる。口から生まれて来たような、元気のいい運動系のひょうきんな子供達とのギャップを埋めていくのである。

そんな彼女たちの最後の授業には、毎年、私が祖母や父、母や恩師から頂いた大切な言葉をプレゼントしている。ここに、たくさんある言葉の中から、二つだけ紹介する。

実る程 頭を垂れる 稲穂かな

明日ありと 思う心の仇桜

        夜半に嵐の 吹かぬものかわ

教師だった祖母が、いつも口にしていた言葉。何かあると必ず、こんな風に俳句や短歌を使って、我々孫たちに厳しくしつけをした。今となっては、いつも喧しく言われていたからこそこうして覚えていて、お人様へ伝えられるのだと、有難く思う。
稲穂や桜を使って、謙虚さや今すぐに行なうことの重要さを教えるという、古の教育の素晴らしさを感じる。文明のない時代だからこそ、空や水、風や植物といった自然界の様子から、物事の真理を見出し、教えとしていた。それを考えると、時折そんな世界に身を置いて感じ、考えることも大切だと、つくづく思う。携帯もネットもない大自然の中で、何を発見、吸収できるか。それが本当の人間力ではないだろうか。

そんな事を子供たちに伝え、考えてもらう為に言葉を贈る。彼女たちがこれから続く、厳しい、そして輝かしい未来の中で、決して負けずに諦めずに、更に広く大きな心で育って行きますように・・・。

平成31年3月19日   畑中香名子