Posted by on 2019年04月27日 in 風の心
平成31年5月号 風の心

5月、待光庵では、ミホミュージアム「大徳寺龍光院 国宝 曜変天目と破草鞋」を拝観することを中心に、滋賀旅行へ参ります。今回は、三つの国宝曜変天目が一度期に拝見できるとあって、様々な形態の、各社のツアーが盛んに行われ、既に大勢の人々が動いている様子をお見受け致します。この事によって、これが現代の展示の在り方であると、逆に知ることが出来たのも、或いは美術品を見るとはどういうことかを考えることが出来たのも、今回のお陰様であると感じています。

12~13世紀、中国の南宋時代(1127~1279)に日本に伝わった曜変天目は、福建省の建窯で焼かれた建盞の一種です。その青く輝く美しい様相は、一度見ると忘れられないような特別なもので、世界中で日本にのみ伝世すると言われている貴重な数碗も、今日まで大切に守り伝えられて来ました。

現存していればこれが第一の名碗と思われている足利義政秘蔵の曜変天目は、後に織田信長の所持となったものの、恐らく本能寺の変の際に焼失したと伝えられています。皆様ご承知の通り、静嘉堂文庫美術館(稲葉天目)、大徳寺龍光院、藤田美術館には、現在日本の国宝に指定されている曜変天目三碗がございます。また『大正名器鑑』には六碗の曜変が挙げられていて、その内の一つ、国宝三碗に続く名碗として、加賀前田家伝来・ミホミュージアム所蔵の曜変天目があります。今回はその天目も展示され、大変嬉しいことです。

いずれの曜変天目も言葉には表せないほどの特異性を持ち、実物を見て感じる以外に伝えようのない姿を見せています。また、それぞれの天目の伝来には、興味深いお話がたくさんあります。

稲葉天目(静嘉堂文庫蔵)は、徳川将軍家柳営御物であったものが、三代将軍家光公から春日局へ送られ、その子孫である淀藩主 稲葉家へ伝えられました。かつて家光の為に薬断ちをした春日局、自身が病に倒れても薬を飲もうとしないことから、家光自ら薬と曜変天目を贈ったという話も残っているようです。その後大正7年に、三井財閥の小野哲郎に譲渡、更に昭和九年に三菱財閥の岩崎小弥太が購入。昭和21年小弥太一周忌の際夫人の願いにより、この天目で仏前に献茶をしたのが最初で最後の使用。昭和50年夫人の死によって、義理の息子岩崎忠雄が静嘉堂文庫に寄贈しました。

水戸天目(藤田美術館蔵)も、徳川将軍家 徳川家康から水戸藩藩祖徳川頼房が拝領。水戸徳川家代々へ伝わり、大正7年、水戸家道具売り立てが行われて、藤田財閥の藤田平太郎が落札。今日それが藤田美術館に所蔵されています。高橋箒庵は、この売り立ての前に天目を拝見し、詳細を記録していたようです。

龍光院天目(大徳寺龍光院蔵)は、堺の豪商、天王寺屋津田宗及が所持していたといわれています。後に、宗及が父宗達の菩提を弔うため、親交のあった春屋宗園を開祖として創建した大通庵へ伝わり、更に春屋の弟子で大徳寺龍光院江月宗玩(宗及の次男)へ渡ったことから、今日まで龍光院に伝来しています。

先の二つの曜変天目は、これまでも各種展覧会で出展されていることから、比較的拝見することが可能なものでした。しかし、龍光院の曜変天目は、これまでもほんの数回しか世の眼に触れることはありませんでした。三つの中では一番おとなしい天目ですが、その存在の意味の深さは深海の如くです。

さて、先ず見ることは難しいとされてきた龍光院の曜変天目が、或いは龍光院に伝わる貴重な至宝の数々が、なぜこの度長期間に渡り展観されることになったのでしょうか。今回のミホミュージアムの展覧会名「龍光院 国宝 曜変天目と破草鞋」は、龍光院の和尚様がお付けになったようです。なぜ「曜変天目と破草鞋」なのでしょうか。展示の仕方や、熊倉功夫先生との対談などを通じて、様々な側面から精神的な教えを垣間見ることが出来る今回の展示会は、拝観謝絶である龍光院の考え方から、成り立っています。そのような意味に於いて、この二度とない稀有と言っていい程の機会を、いまだかつて無い展示会を、皆様と共に楽しみ、勉強したいと思っております。この続きは次回に・・・

平成31年4月19日  畑中香名子