Posted by on 2019年05月23日 in 風の心
令和元年6月号 風の心

「目的は、三つの国宝曜変天目を追いかける事ではない。追いかけた自分が、見つめ比べた自分が、或いはその天目以外のたくさんの物や事を知った自分が、それをどう消化し、自分の人生に、訪れる明日へ、どう活かしていくのかが大切と、和尚様はおっしゃっている気が致します。」おこがましくも、そうバスの中で皆様にお話しした。
「龍光院の曜変天目は道具である。土を掘るスコップのようなもの、目的は穴を掘ることで、スコップそのものではない。」「仏法という大きな幹のその枝先にある曜変天目、また別の枝先には密庵席、更に別の枝先には・・・それらは全て四百年間守られてきた仏の教えを知る為の道しるべである。」龍光院様は堂々とそのように述べられた。仏の教えを知るということは、己を振り返るということではないだろうか。このことは、三つの国宝曜変天目を拝見し、織豊政権下の堺の豪商 天王寺屋至宝の絶大なる力を知る以上に、大切な教えかも知れない。これを理解した上で展覧会をご覧頂き、せっかくの内容を、根本を持ってより深く広く、真の姿が皆様の目に映るようにと願った。今回それが叶ったように思う。

当庵今年一回目の旅行は、ミホミュージアムで行われた「大徳寺龍光院 国宝曜変天目と破草鞋」の見学を中心に、滋賀方面を歩いた。先ずは、京都駅から石山寺の紫式部展へ。屏風や巻物に描かれた宮廷の目を見張る美しさ、香道具や常備品の蒔絵は重厚で、源氏物語一つでこれだけの多様な文化が育つことを再認識する体験だった。続いて叶匠寿庵寿長生の郷では、美味しい鴨肉のお食事や、茶席にて最高の特別菓子と御茶を頂き散策。たくさんの実をつけた梅園を抜けて歩き、ここそこのお花を観察しながら西方限定のお菓子等を求め、焼きたてパンの香りも満喫しつつ、皆様ゆっくりと寛いだ。次に高橋楽斎さん宅へ伺い、登り窯見学をしながら作陶のご説明を頂いて、立礼席での呈茶を。九十三歳の長老四代目楽斎さんを筆頭に、五代目ご当主、そして六代目のお嬢様まで、温かいご家族の心に包まれた。夕食は当然近江牛、乾杯をして楽しんだ後は夜の琵琶湖へバスを進めた。

いよいよ翌日は一日中ミホミュージアムにて拝観を。ご縁のある熊倉先生より特別なお話を伺ってからの見学は、何よりも物を見る目を変え、深い理解を呼んだ。皆様口々に、このお話が有って見るのとそうでないのとでは全く違うとおっしゃった。全て食材を自給自足というお昼のお弁当は、自然のままの格別なお味と手の込んだメニューで私たちを喜ばせてくれた。
単なる美術展ではない、これまでの美術館史上にない、最高の道場としての空間がそこにあった。江月宗玩とその周りの人々に触れ、歴史の事象を紐解き、龍光院様は言う、「皆が平等に持ち合わせている『優しい心』で仲良くやろうというお釈迦様の教えを伝える道具が曜変天目。」「江月和尚の教えを、その財産を、世界平和へどう活かすかを考えている。いかに世の為人の為にフィードバックしていくか。」と。そして山田無文老師と同じく、二十年か三十年に一度、一人本当に法を求める人が来る、その人の為に毎日毎日掃除をしているのである。

新幹線の技術があっても、空席で走らせては意味がないと比喩され、これが最後というこの度の展示に踏み切られた。また、和尚様のお考えを汲み取って自由に展覧会をアレンジさせてくれる、ミホミユージアム館長熊倉先生だからこそ出来た事。このお出会いが無ければ成し得なかった。結果、新幹線は空で走らせるどころか、定員オーバーで乗車率二百パーセント以上?この度の展覧は、大盛況。そんな中、この文明に本当の意味を持たせるのは、乗った大勢の人達自身であると痛感する。
たった一つのお寺が、どうやって四百年間これだけのものを守り抜いてきたのだろう。これは歴代の相当なご努力と禅の心、 仏法を守り抜く精強な信念の賜物、と思わずにはいられない。そんな至宝を余すところなくお出しになり、重さ二キロという、価格破壊の内容の濃厚な図録を用意、更にここへ足を運んだ方々へのお土産と言って座禅会をなさる・・・まさにこの「誠心誠意」という行いが、和尚様の仏法であり、我々が学ぶべき点である。「努力もしようと思いますが、出来てはないですけれども、四百年間実らなかった因縁、縁(えにし)、江月和尚のいたずらでしょうか・・・。」と、謙虚におっしゃるお姿に胸打たれる。

令和元年5月19日 畑中香名子