Posted by on 2019年12月21日 in 風の心
令和2年1月号 風の心

12月号よりの続き・・・
2回にわたり、鈴木宗保先生のお筆を取り上げて、宗保先生のお人柄や、先生がお仕えした鵬雲斎大宗匠が若宗匠の頃のお話をご紹介している。長い年月の積み重ね、先人の努力によって今日があることを、今の我々が知っておかなければならないと考えたからである。
今回は、到着した北海道でのご様子を、要約して記してみよう。

函館に着いた若宗匠(現在の鵬雲斎大宗匠)は、スズランの花束を胸に、感激で目をうるませている函館支部の方々に迎えられた。若宗匠は、模範点前の披露、支部物故者への御供茶式、講習会、講演会が続き、お休みになることも出来ないほどのお忙しさだったようである。
物資不足の中、お菓子は、南瓜の裏ごしに四角く切った黒砂糖を入れ熊笹の葉で三角に包んだものを使用した。若宗匠は3日間の講習の後でお茶事に招かれたり、御呼ばれを受けたりしながら、僅かな間に五稜郭を見学なさった。お供をした地元の人々は、またそれが感激だった。
翌日の朝早く小樽に着くと、待ちかねていた小樽の人達は、若宗匠の御安着をお祝いして樽酒の儀式を行った。小樽では古い料亭の開陽亭を3日間借り切って講習会を行い、その他斎藤支部長宅で利休忌の御供茶、講演会など、ここでも若宗匠はお忙しい。二日たっても三日たっても、一向に小樽から動きそうにないといって、待ちかねた札幌の人達が若宗匠をお迎えにみえた。この頃は時間的な予定のない旅であったため、もう一日お願いしますと申し上げると、お聞き届け下さって講習して頂けたのである。毎日のように電話をかけてきて様子を聞く札幌の人達が、待ちかねてお迎えに来るのも無理はない。

札幌では男子ばかり20名ほどが、若宗匠を囲んで座談会を開いた。これが誠に活気あるもので、お若い宗匠のご意見やご説明に一同聞き入った。この時の方々と、定山渓へおいでになられた時の、グレーのお洋服を召した宗匠の若々しく御立派なお姿が、まぶたの裏にはっきり残っている。
札幌から向かった旭川では、市長のご厚意でアイヌ部落へ見学に行ったが、若宗匠も感慨深げなご様子であった。翌日には御献茶や支部結成があり、三日ほどいて登別へ向かった。こうして半月にあまる旅が続けられたのである。
確か帰り途であった。何という駅であったか忘れたが、りんごの取れるところだといわれていた。汽車がその駅にさしかかると、どんな話し合いになっていたのか、突如として止まってしまった。急行の止まる駅ではないので、皆、何事かと窓から首を出す。ホームには綺麗に晴れ着を着た娘さんたちが溢れるほど並んでいた。この土地の裏千家を学ぶ方々であった。若宗匠が急行で通過されると聞いて、一同でお出迎えしていたのである。若宗匠はホームへ降りられて歓迎にお応えになり、簡単なご挨拶をなさった後、その人たちと記念写真を写されて、再び汽車に駆け戻られた。汽車の中の客はのんびりとそれを眺めてまっていてくれたが、北海道ならではのことである。

ここまで要約を記載してみた。戦後という時代と、北海道という地域性が生み出している、様々なエピソード。おおらかで心温まる時間の流れが、そこにある。鵬雲斎大宗匠が若宗匠の頃から、小さな一歩一歩の積み重ねで積み上げられた、茶の道がそこにある。今日、今である根源が、見えてくるのである。
次回は最終回。宗保先生のお人柄の中に位置している、大宗匠の詠まれた一句から広がる人生の一端を、ご紹介したいと思っている。

令和元年12月18日 畑中香名子