Posted by on 2026年07月1日 in 風の心
令和8年7月号 風の心

 もう30年も前に、私は裏千家学園研究科に一年間所属し、貴重な勉強をさせて頂いた。引き続き、もう一年行きたいと申し出たけれども、母の反対にその想いを屈したことを覚えている。
 それでも当時は、寺西先生を筆頭に横山先生、永井先生など大きな先生方から順に、今は亡き素晴らしい多くの先生方に細かく実技を見て頂いた。その一言一言が貴重な教えであり、口伝という茶の道の、正にお手本であった。教科書に書かれていない事、教科書以上の事を、さりげなく語って下さる先生方に、どれだけ大きな価値ある学習をさせていただいたことだろう。その場に居合わせなければ知り得ないことが殆どで、暗記して寮に戻って記録する作業に追われ、全く遊ぶ暇はなかった。しかし、そのお陰様で物事を見る目、理解する力、分別の規準を自分の中に構築できたように思う。

 そのような素晴らしい学園生活では、淡交社刊行の本を割引で買うことができる時期が年に二回あった。この時とばかりにたくさんの本を拝見し、求めたものだった。『風興集』もその時に初めて手にし、確か絶版になると言われて慌てて求めた。
昭和11年6月15日に初版が刊行されている。昭和35年11月9日には改定初版が刊行、当時は「壱千円」で販売されていたこの本は、現在ネットで新品が一万円くらい、中古で6千円から7千円で確認できる。

 『風興集』の中には、淡々斎宗匠が茶道について次のように書かれている。

 また私の方の祖先であります仙叟居士は、戯れに菅公の御歌を引用いたしまして
    心だに誠の道にかなひなば
       習はずとても茶の湯なるらん
  と言いなされたことがあります。茶の湯というものは心の誠を専らとして行うべきものであるということを適切に説示された唯一の教訓であると存じます。
装飾ということはある場合必要なことでありましょうが、わが茶の道におきましてはこれは外面をてらうことになりまして、すでに本当の心持ちではなく一種の虚偽になります。故に茶には虚偽、戯飾は一切禁物でありまして、偽らず、衒(てら)わず、生まれたままの人間そのままが、そのまま滑らかに融和する環境が最も平和な世界でありますから、茶はこの環境を醸成するのが第一目的なのであります。
昔豊臣秀吉公や徳川幕府では、茶でもって荒(すさ)み切った豪雄の心を和らげ、離反せんとする大名の隔心を防止する慣用手段として、人心の融和を謀り、平和促成の用に供せられた事実は、種々の文献によって観測されるところでありまして、平和は人生の最も庶幾するところの純道であります。

茶はこのように虚偽のない至誠至純の道であると、何人といえどもこれに直心して人道の要訣を窮(きわ)むべき手段に用うべきもの、とおっしゃっている。

 「茶道とは何か」、この問いは生涯持ち続けるものだと認識している。ここに淡々斎宗匠の、昭和11年当時の「茶道とは何か」、その想いを見ることができる。守破離の過程を経て、自分の中に何を作り出すのか、その答えがここにあるように思う。

令和8年6月26日 畑中 香名子