Posted by on 2014年01月1日 in 風の心

井口宗匠にこんな文章がある。
「質問する事は、しないよりもいいことだ。
ある所で今日庵の研究会が開かれた。集まった人は引次以上の、皆お弟子をもっている人ばかりだった。研究の題目中に、「盆香合」があった。実演者(変な言葉だが)は家元の業躰の1人であった。

盆香合の香合の蓋は、盆の中央に置くことになっている。その業躰は、勿論そうした。しかし、その蓋が余りにも平べったいものだったので、取りしなにすべる恐れがあるように思ったので、盆のふちへ立てかけて置くことに改めた。
閉会後、見学していた婦人会員の間で、色々の議論が出た。そして結局「盆香合の蓋は、盆のふちへ立てかける様に変更された。」という事に決定してしまった。

何でもない様で物の間違いというものは、こんな事から生じて来るのである。何故大宗匠の居られるうちに質問しなかったのであろう。疑問があればすぐその場で質問すべきだ。或いは、こんなことを質問しては笑われるだろう。と云う様な引っ込み思案から誰も質問しなかったのかも知れないが、これがいけないことだ。一時の恥を恐れる事は、大きな間違いを生むもとだ。

それからもっと頭を働かす事も必要であろう。例えば同じ薄茶の点前であっても、根本の手法は変わらないけれど、棚の形状、棗の型、茶碗の種類等によって、少しずつ扱いが変わる如く、この盆香合の場合でも、やはり香合の型で、機に臨んでその扱い方を少々変えねばならない。この辺の頭の働きがなければ、とうてい多くの弟子を導いてゆく事はできないであろう。

疑問はどしどし質問すべきだ。(略)また、各自も器物の形状などについては、大いに研究されるといいと思う。」

我々学ぶ者はいつでも、広く柔軟な考え方で見る、判断することが重要だと痛感する。いつの時代でも変わらない、どの世界でもいえることだと思う。

昭和の初めごろの記述をみると、研究会も淡々斎宗匠がおみえになり、そこに座られてご指導なさっている。点前は業躰先生がなさる場合もあるようで、又はその地域の担当先生社中が行っていたようである。いずれにしろそこにお座りになっている淡々斎宗匠が直接ご指導されている様子を、写真などでも拝見出来る。殆どは女子の点前で、周りで見学されている方々も女性が多い。護国寺などでは研究会に献茶を伴うこともあった様子。このような研究会が行われていた時期は、真・行台子伝法の伝授も、直接淡々斎宗匠がなさっていた。

今の時代しか知らない者からすると、写真をみて始めて、こんな風に進められていたのかと大変興味深く拝見する。今日まで積み重ねられてきた、様々な日々の様子をいつか皆様と共有し、学びの1つにできたら良いと思っている。
平成25年12月22日   畑中 香名子