深々と冷え込んでくる、寒い2月がやってきた。お茶をしていると、こんな時は囲炉裏に寄って、ゆっくりと炎を見つめながら語り合いたいもの。しかし、様々な事が始まる兆しがあるのもこの季節。梅の花が今か今かと蕾を膨らませるように、2月は多くの学生がテストを受けて進路を決め、翌3月には新たな春へ歩み出す最後の学年末を迎える。
ハヤット神父の「人生の旅」というお話を紹介する。
旅行は、とても楽しいレクリエーションである。しかし、荷物を持たなければならないのが1つの大きな欠点だといえる。やっかいなスーツケース等を持っていては、旅行をしても心から楽しめない。荷物を駅で預けるか、ホテルに置くかした時にだけ、ゆっくりとした気分であちこちを歩き、景色を楽しむことができる。
人生もこれと同じだと言える。我々は皆旅行者であり、誰でも荷物を持っている。その中に、特に厄介な荷物が2つある。1つには「過去への後悔」と記されており、もう1つには「未来への恐れ」というラベルがついている。
肉体的な苦痛は、現在にだけ感じられる。しかし精神的な悩みの大部分は、過去の過ちや、ありそうな未来の災難について心配することが原因になる。けれども、こんなことを思いわずらうのは意味がない。
過去は過去である。どんなに考えても、それは変えられない。過去の過ちは、未来への良い警告となるだろう。
未来に関する限り、何が起こるか知る方法は全くない。あらゆる種類の災難を想像するのはたやすく、ひよっとすると起こるかもしれない多くの不幸な出来事を心配するのは、人間共通の真理である。しかし実際には、心配したことの大部分は決して起こらない。
人生の旅を楽しむためには、こんな荷物は捨てた方が良い。過去や未来への心配をやめた時、初めて、現在送っている生活を十分に生かすことが出来るのである。
心のともしびより 2014年1月1日
少し長く生きていると、このような話は、様々な形で耳にすることがある。この神父様のお話と同じような事を、禅の寺院でも伺ったことを思い出し、異なる宗教における等しい人間への教えに、改めてなるほどと納得した。出来るようでなかなか出来ない事が難しい。
仕事をしていると、確かに過去の失敗は未来への警告として活かそうとし、次々と考えているうちに過去の記憶が薄れていく。しかし、未来への不安は、常に先を見据えてチャレンジし、また最悪の事態に備え対処することを行っている以上、なかなかぬぐいきれない。未来を考えて詳細な計画を立て、万全を期することは良しとして、あとは現実にその計画を常に更新し、変化に対応せざるを得ない現実の今を、いかに良い判断力、素早い決断力でこなせるかどうか。そんな力が求められているのだろうかと、読みながら考えた。
茶事でも同じだ。御客様をお迎えして、お送り申し上げる迄も、この今、現在の連続なのである。
平成26年1月15日 畑中 香名子


