5年程前から、私立中学の1年生に授業としての茶道の教授を行っている。3年が過ぎたころ、実技と共に伝えていた道や学についても、もう1度「茶道と教育」を中心に学ばなければいけないと、勉強を始めた。この2年間、拙い頭を駆使して、多くの方のお話を伺い、様々な著書を拝読させて頂いた。それでもまだまだ足りないが、お陰さまで素晴らしい学びの毎日だった。
千家の歴史についても、歴代の宗匠方の御苦労、たゆまぬ思いの深さを痛感し、茶道とは何か、その存在意義を考え、認識する日々が続いた。様々に書かれたものが大変参考になった。一方書かれている内容の信憑性を熟考することも大切だと実感した。文字になることによって内容が変化したり、限定されたり、書いた人の主観が含まれることもある。それでも過去の事を調べようとするとき、手掛かりになるのは、その時代を生きた方の生の声や書物である。「不立文字」と隣り合わせの世界で、もしも活字で示すことが始まっていなければ、今頃茶道はもっと小さなものになっていたのではないだろうか。時代の進化と共に、書物の出版という手法も発展を遂げて、結果的に良かったのではないかと思っている。
13代家元円能斎は『今日庵月報』を創刊した。明治41年のことである。その後、この雑誌は『茶道月報』となり、現在の『淡交』へと長い歴史を守り続けている。『茶道月報』時代ごろまでは流派を超えた総合的な内容も多い。日本人によって台湾や朝鮮でも盛んであった茶道や、軍の病院への慰安の様子等、当時の社会に於ける茶道の実態を見ることもできる。この事から、この雑誌が広く茶道界全体に対して貢献していたことが予想される。また、円能斎時代の点前の教本も読んでみた。点茶盤には本荘の他に二つ置があり、香付花月の記録には時と所を記入、廻り炭の炭の量は倍ではなく、大炉も玄々斎の形に近い。この教本以前、もっと前とも異なる部分がある上、この後の教本も、年代によって内容が変化してゆく。点前の柔軟性を理解するには、このような変化の経緯を知ることも重要である。最新だけを追いかけるのは、その意味を知らずに型だけを覚えることになりかねない。
但し、こうして勉強を深める際、注意しなくてはならないことがある。
「茶の湯をば 心に染めて 目にかけず 耳をひそめて 聞くこともなし」
これは利休居士が言われたとされる言葉である。
「茶の湯とは 心に伝え 目に伝え 耳に伝えて 一筆もなし」
こちらはその孫、宗旦が詠んだとされる歌である。
利休居士は同じく「茶の湯とはただ湯を沸かし茶をたてて飲むばかりなる事と知るべし」と言っているように、全て限りなくそぎ落として無に近づこうとする禅的な、或る意味厳しい表現をする。実は逆説的な説明でもある。宗旦は少し優しく表現しているのだろうか。それでも、心に染めて、心に伝えるのは同じ、とても大切な原点である。
道も学も実も備わって始めてバランスの取れた視野になる。しかしそれも全ては、心に通じるということがあって初めて意味を成す。人間とはそういうものだと思う。心に響く教え、心の底から湧き出る喜び、心を動かす感動、通じあう心があってこそ、茶道も成り立つのではないだろうか。そんな事を目指して、日々精進したい。
平成26年2月23日 畑中 香名子


