10月に、立礼で茶通箱の茶事を行った。1回に5名様をお呼びしたこの茶事は、これまでの静幸庵から場所を直心庵に移し、今回は鵬雲斎大宗匠が好まれた点茶盤を使って、共に楽しませて頂ける大変有難い時間を賜った。
立礼式は11代玄々斎が考案された。畳に座るのではなく、椅子と机を使って行うお茶で、立ったまま礼をするところからこの名がついたのではないかと私は解釈している。この大きな改革の提案は、明治以降近代の新しい生活スタイルの中で、茶の湯の可能性を絶大に広げた。江戸時代、畳や板の間、或いは地に座することが当たり前、その目線で会話や生活をしていた日本人が、立ったままで礼をし、更に机の上で茶を点て椅子に座って頂く。江戸末期から西洋化が進む日本に於いて、それ迄全く存在しなかった感覚でのこの日本文化大改革は、国内外に対しある意味おおいに役立ったと考えられる。また今日から見ると、多くの反対を乗り越えて、このように西洋のスタイルにも合わせられる柔軟性を示した事で、より畳のお茶に日本的存在感と伝統的空間を強調させ、返ってそれを残す、守ることが出来たとも捉えられる。
今まさに現代は、更にそこから新たな一歩を踏み出す時なのかも知れない。正座が出来ない方も多くなり、ご高齢でお元気なのに畳に座れなくなってしまう方もおられる。このような現代社会の人の変化に合わせて、立礼でも様々な茶のスタイルを行なうことが出来るという考え方を持っても、良いように思う。
文化の継承とは、この様な時代の要求にこたえ変化するべき部分と、不変的な軸となる古を守り抜く部分が必要だと思う。そのバランスの中で、茶道も発展してきた。このようなバランスを崩さないで新たな事を考える時は、これまでの伝承の変化やその歴史を正確に理解することが大切である。そんな基礎なしに勝手な事をすると「無茶苦茶」に、お茶が無い、苦しいお茶になってしまう。今回のような場合は、台子や長板、奥伝の世界までよく噛みしめて、点茶盤の上の空間や立礼の根本を習得しておかなければならない。それも玄々斎の意向を汲み取って、成立当時の考え方も知っておく必要がある。このようなことを考慮した上でないと、応用できる形を考えることはできない。けれどもその勉強は大変難しい。
玄々斎の18歳違いの兄、渡辺又日庵が、玄々斎にその教えを受けて記した中には、次の様な事が書かれている。玄々斎は序文で、裏千家茶の参考にしてほしいと示している。
茶の湯に招かれて贈物を持参することがあります。贈物には決して濃茶を持参してはいけません。濃茶を贈物にすると、亭主は贈られた濃茶を使う工夫をしなければならず、そうなれば予め用意していた茶具を替えなければなりません。またそれに はそれぞれの習い事もあるので、盆点までの習い事が済まない亭主には決して濃茶を持参しないことです。
この事は多いに茶通箱の捉え方を考えさせるものであるが、更にそれ以前の家元はどう考えていたのかまで遡らないと、これが変化の過程なのか、正しい理解にはつながらない。ところがそこには、書き遺さないという不立文字の世界の課題も混在する。
今回は玄々斎の道具を多く使い、又玅斎、円能斎、淡々斎、鵬雲斎大宗匠へと茶事を進めてみました。我々が忘れてはならないものを考える時間にもなりました。5人様が四畳半と同様に会話し、そんな皆様と共にだからこそ楽しめる茶事となりましたこと、心より御礼申し上げます。有難うございました。
平成25年11月21日 畑中 香名子


