Posted by on 2016年07月17日 in 風の心

子供達まで入れると90名を超える、お茶を習いに来て下さる方々は、大切な仲間である。知りたい、身に付けたい、楽しみたいという気持ちで足を運んで下さり、教える、教わる中で自然とお互いに高め合い、充実した時間を共有する。お茶の点前一つとっても、無駄のない順序の理論、洗練された動きの美しさ、それらが作り上げられた歴史、それにかかわった人の想い、お伝えしたい事が溢れてくる。現代の日本人、過去の日本民族、それぞれの時代のお茶の社会性、今からどうあるべきか、常に頭をよぎる「お茶ってなんだろう」という問いの答え探しだけでも、こんなに興味深いことがあるとお話する。そんな難しい事を放り投げて、頬が痛くなるほど、涙が出るほどに思い切り笑って、美しいもの、美味しい味、凄いと思えることに皆で心動かせる、ただ楽しめる稽古場は更に、私の最も貴重な空間となる。 

こうして習いに来て下さる方々との交流を通じて、自分自身もまた思考を広げ、感動を頂き、育てて頂いていることを痛感する。

そんな大切な仲間の一人が、2年前に自転車の事故で大腿骨に大怪我をした。子供の運動会で親子競技が終わり、校庭の木陰で取った一本の電話で、そのことを知った。すぐに病院へ向かった。彼女の笑顔の裏側には、痛みに耐えた苦しみと、請け負っていた仕事について周りに迷惑をかけることへの心配、これからどうなるのだろうとう不安を、容易に見て取ることが出来た。それでもそこに、強い意志があった。何とか直してまた頑張るという、前向きさを感じることができた。笑顔の美しい方なので、切ない気持ちで病院を後にしたことを、今でも覚えている。

彼女は再び正座をしてお茶ができる事を切望して、金属を入れない手術を選択した。骨が付く確率は五分五分でも、一か八かそれにかけてみる勇気があった。そんな気持ちで望むその手術以上に、術後のリハビリがどんなに大変だったかは、痛切に理解できる。私が運動選手時代、激しいスポーツで膝の靭帯を切る、鼻の骨を折るなどして苦労したチームメイトをたくさん見てきたからだ。自分も例外ではない。普通の人以上に一分一秒が長いと感じる病院生活。取り残されたような寂しさの中で、ただただ前を向いて同じ運動を繰り返すリハビリ。広い病院の廊下を補助なしでゆっくりゆっくりと歩けるようになっても、そこへ足を運ばないではいられなかった。面会室で語り合った。同門の仲間が病院に来てくれる喜びを、こみ上げるその思いを私に伝えようと涙しながら言葉詰まらせる彼女。誰だって人は人に寄り添い、助け合って前に進んでいるんだということを実感した。

月日がたち、長いリハビリを終え、彼女が稽古場に戻って来た。最初は椅子を使って、その後は手をついてもゆっくりと座れるようになり、稽古場にまた、明るく綺麗な色が広がった。嬉しかった。何でも教えてあげたいと思った。点前をする姿を見て、それまでの見えない苦労がよく分かった。もうひと方、先に膝を怪我されたお弟子さんも既に戻ってこられており、嬉しさは倍増した。「諦めない心」は子供達だけのものではない、幾つになっても持ち続けるものだと、思わないではいられなかった。そう人生の先輩方お二人に、教えて頂いたのである。漫才のようにちゃちゃをいれてからかう社中の方々、それに笑いながら言い返すお二人。きれいにお化粧をして、パンツスタイルでリュックをしょって稽古場に向かえる喜びは、いかばかりであったろうか。以前のように動けなくても、お二人が励み合いながら稽古をして下さる姿は、私の励みにもなった。

そんな彼女が再び足の痛みを覚え、稽古場から姿を消したのは、復帰してから半年位を過ぎた、去年の秋だった。(この続きは次号にて・・・)

平成28年7月3日 畑中香名子