Posted by on 2019年07月25日 in 風の心
令和元年8月号 風の心

Yさんは、確かに七十の終わりか八十の初め。年配と言えば年配だけれど、頭もしっかりしていて、点前も大抵のことは問題なく、奥伝迄こなされる。おしゃれな方で、髪は綺麗な色に染め、着物も美しく取り合わせ、自動車の運転もして毎週稽古にみえている。少し不自由だったのは、足が弱って立ち居がしにくいことだったが、それでも頑張って前向きな心で畳に座っていた。我々若い者に、淡々斎時代のたくさんの貴重な話をしてくれた。
そんな彼女が、ある雨の次の日に、ベランダに出て転んだ。転んだ瞬間は、声も出なかったそうだ。それでも何とか這って家に入り、ご主人を呼んだ。病院での診断は、圧迫骨折で入院。お茶が大好きで、若いころから積み上げて来て、家元にも行かれて・・・。どんなにか残念な瞬間だっただろうか。どんなにか辛くがっかりしたことだろうか。想像するだけでも胸が痛む。
すぐに手紙を書いた。そして、足が痛くても、耳が遠くても、克服して来ている明るいCさんを想って、リハビリして頑張ろうと声を掛けた

Cさんは七十代、耳が遠くなったことを随分前から気にしていた。だからそんなことは大丈夫と、いつも皆で話しかけた。元々人を笑わせること以外考えていないような方である。「私無口なのよ・・・。口が六つあるんだから。」と言ってよくしゃべる。冗談ばかり言って、人に突っ込みを入れて、周り中が笑みに包まれる。それでいて完璧な上、美しくて穏やかな優しい点前をされる。その姿を、誰もが学びながら拝見する。内臓系の病気の治療も無事に済み、その当時の外科の先生がハンサムすぎて緊張し、胸ドキドキの幸せな入院生活だったという。その後足の調子が悪いとはいえ、ついに補聴器を買って使用するという行動に出たものだから、これから益々心は明るくなるのだと思った。
そんなある日、ショートメールが来た。稽古を辞めると言う。どうして?何で?彼女のいない稽古場なんて想像すらできないから、ついそう思ってしまった。
「足の具合が思わしくなく、歩行も困難に・・・生きがいである茶道を辞める決心がつきませんでしたが・・・芳月会に入会して今までに経験したことのない・・・思い出すだけでも涙が止まりません・・・良き友人に恵まれ、先生方には点前のみならず人としての大切な行い等を学ばせて頂き・・・」
その週に彼女が、息子さんの車で送ってもらいながら、月謝を持ってビルの下まで来た。けれど入り口の数段の階段が上がれないからと、我々が下に降りた。彼女は、私の母の顔を見るなり泣き出した。生まれて初めてCさんの涙を、声を上げて泣く姿を見た。子供のように、声を上げて・・・
自分を悔やんだ。いつも最高の明るさでいるけれど、これでもかと皆を笑わせてくれるけれど、Cさんの中にたっくさんの辛いこと、苦しいこと、悲しいことを抱え込んでいたのだとわかり、気付かなかった自分を悔やんだ。片方悪かった足だけではなく、反対側の足が思うように動かないという。そのショックもあったと思う。Yさんに手紙を書いたより後の出来事だった。

人は老いる。体は消耗品だから、内臓も、骨も、髪も、段々と弱っていく。皆同じように老いて、今まで出来ていたことが出来なくなる。今まで痛くなかった所が痛くなる。それまでは何も考えなくても良かったことが、いちいち検討をしないといけなくなる。歯がゆい、辛い、悔しい、どうしたらいいのだろう。みんな悲しみに暮れる。本当の心の重みは、その当事者でなければわからない。

宇宙物理学者スティーブン・ホーキング博士は、難病ALSで一年前に亡くなった。人工呼吸器を付けても、危険をおかして飛行機にのり、飽くなき好奇心を前向きに貫いた方である。彼のメッセージに次のようなものがある。
「個人の人生に限界はない。宇宙の中で、私たちの知性が達成できることに限界はない。下を向かず、上を向いて星を眺めることを忘れないで下さい。人生がどんなに困難に見えても、必ず出来ることがある。諦めさえしなければ、生きてさえすれば、必ず望みはあるのです。」

今は、この言葉の意味を深くかみしめている。

令和元年7月20日  畑中香名子