Posted by on 2019年10月29日 in 風の心
令和元年11月号 風の心

「虹」私はこの項が好きで、何度も読み返した覚えがある。宗保先生の、深い感性の豊かさを感じるからである。少しまとめながら抜粋しよう。

9月に入ってもまだ暑さが残っていた。二日の朝、爽やかな目覚めに、ふと一つの構想が浮かんだ。床に、水月の絵を掛けて、花釘のなたざやに、すすきの穂を短く入れ、長い葉を一本すっと、水月めがけて伸ばしておくのである。
私は、この構想を実現するために、洗面をすますと近くの空地へ、すすきを取りに行った。いつもなら、まだ若い穂を出したばかりのすすきが、十本やそこらは出ているはずであったが、空地には、一本のすすきも姿を見せないのである。おかしいなと思った。誰か風流人がとっていったのかも知れない。先を越されたなと思いながら手ぶらで帰ってきた。
すすきが無ければ、崖の上から水月を見るという絵は掛けないことになる。残念ながら、構想を変えなければならない。そこで床に、萩の花におく露を詠んだ短冊を掛け、虫の香合を置き、雁の絵の茶碗を出すことにした。花は、庭の木槿の高い枝に、今朝咲いた花が一つついている、あれを使おう。
短冊を掛け、花釘のなたざやに木槿を入れる。純白の中に落ちついた虹をだいた木槿は清々しい。花を入れて坐っていると、席中がさわやかな秋の色になって、野分が吹きすぎてゆきそうだ。私はお茶を一服飲んでやっと満足した。静かな佇の中で、花を見ていると、一句うかんだ。

  五十回を無事に送りて二日哉   宗保

昨日は九月一日、震災の日であった。私はこの日をもう五十回送っている。相変わらず無事である。

何と豊かなお心で、お茶に向きあっておられることか。今の自分の慌ただしさを反省し、近頃の浅はかな考え方を拭い去り、深く深くその情景を思い浮かべながら、この場面の教えを汲み取る。
床間を整えられる時のご様子は、御嗣子宗幹先生も同じだった。「畑中さん、これを見てごらんなさい。」と言って、床間の軸や花入、特別な薄板の箱を見せて下さる。嬉しそうな楽しそうなお顔で、何故このように取り合わせたのかを説明して下さる。それなのに「これくらいのことは、言われなくてもわからなければいけないよ。」と、必ず最後には釘をさされるのだけれども、そんな厳しくも温かい教えが、水曜日の稽古の何よりも有難いことだった。
宗保先生の美しい日本語は、まだ続く。

震災の後は、円能斎宗匠の御命令で北海道へ渡り、函館に七年いた。北海道も忘れ難い土地である。その北海道へ、戦後間もない頃、鵬雲斎御家元のお供をして半月ほどの旅をした。その旅の日々が、私にはまた忘れられない、楽しい思い出となっているのである。
御家元は、海軍からお帰り遊ばして間もないころで、若宗匠でいらせられた。北海道再開発のご目的で、渡道遊ばすお供を仰せつけられたのだから、私も張り切って準備をととのえ出発の日をまったものである。
確か六月の梅雨期に入ったころ出発をしたが、御家元は澤木さんをお供に連れられて颯爽とお出ましになった。上野から、青森までの汽車は、まだ車両が充分でなく、座席を獲得することは容易ではない。御家元だけは、やっと二等車に乗って頂いたが・・・。

この続きは来月号で・・・。

令和元年10月17日 畑中香名子