Posted by on 2020年03月27日 in 風の心
令和2年4月号 風の心

相変わらずに、落ち着かない日々が続いております。重い不安を抱えておられる方、会話が無くて退屈している方、コミュニケイションが上手く取れなくなってきている方・・・自粛する家の中では様々なことが起こって、普段とは違う毎日が、平常心を保てない状態にしているのではないでしょうか。

古いアルバムを広げて、古の自分の人生を振り返ると、こんな日もあった、あんな事もあったと、思い出すこともたくさんあります。昔読んだ本を広げて今読み直すと、全く違う印象だったりもします。インターネットで禅語や歴史を勉強できるサイトを開くと、思わぬ収穫を見つけることも。朝早く、少し外に出て、軽いストレッチやウオーキングをしてみるのも、リフレッシュになります。懐かしい人に、手紙を書くのも良い気がします。「時間」とは、無い時にとても欲しいのに、ある時には使い方が分からなくなることも・・・。みんな同じですね。

先月、待光庵たよりに書かせて頂きました沖縄の方から、メッセージが届きました。水面に舞い落ちた花びらを、愛しい人へ贈りたいという沖縄の古歌を、改めて調べて送って下さったのです。何と嬉しいことでしょう。2月に行った梅見の茶事、その梅の花びらがはらはらと水面に舞い落ちる姿をフェイスブックに投降したご縁で、このような優しい言葉を頂きました。

毎日憂鬱なニュースが流れる中、心がホッとするとはこういうことかと、穏やかな気持ちになりました。川面に流れる花を掬う琉球の古歌を、その方なりにまとめて下さいましたものが、次のような文章です。

① 春の山川に 散り浮かぶ桜
    掬い集めてど 里や待ちゆる

はるぬやまかわに ちりうかぶさくら すぃくいあちみてぃどぅ さとぅやまちゅる

春の水面に浮かぶお花を掬い集めて、愛しい人を待つのです。

② 白瀬走川に 流れゆる桜
    掬て思里に 貫きやりはけら

しらしはいかわに ながりゆるさくら すくてぃうみさとぅに ぬちゃいはきら

流れの早い白瀬の川に、浮いて流れてきたお花。それを掬い、あの愛しい方へ花輪にして差し上げましょう。

③ 流れゆる水に 桜花浮けて
    色清らさあてど 掬て見ちやる

ながりゆるみじに さくらばなうきてぃ いるじゅらさあてぃどぅ すくてぃんちゃる

小川の流れに桜の花を浮かべ、あまりにも美しいので手に掬ってみたのです。

かつては、野の花や花園の花を摘み、ハワイのレイのような花輪にして愛しい人や子供に贈るという習慣があったようで、今では琉球の古典舞踊にその習慣を題材にした舞踊がおありとのこと。桜の花が多く詠まれているのは、琉球では桜=美しい花の総称と考えられていたそうです。

今、世界中がこの病気の蔓延で困窮しています。確かに私たち一人一人も、同じ状態です。まだまだ良くなってきているとは思えません。

しかし、人は皆このような壁を乗り越えて生き抜いてきました。今まだ、我慢我慢だと思っています。出来ることをして、目の前のことに取り組んで、じっと耐える時だと思います。感染拡大につながる不要なことは控えているものの、心の平静に繋がる時間の使い方をして、実のあるものにしたいものです。

沖縄は、日本国として、先の大戦で大きな被害を受けた、辛い思い出をたくさん抱えた場所です。どれだけの方が苦しい思いを胸に亡くなったことでしょう。どれだけの方が悲しい思いを胸に生きていることでしょう。私たちはそのことを次の世代に伝える義務があります。それに伴い、忘れてはいけないことがあります。今その沖縄には、美しい花が咲き、鳥がさえずり、人々は強く優しく穏やかに歩んでいるということです。何故か。それは「艱難汝を玉にす」です。耐え抜いた人々の手によって、その努力によってこそ成り得た今がある。この事に気付き、また理解しなければならないと思うのです。

沖縄の水面に流れる清らかな花びらを、いつか私も掬ってみたいと思っています。

令和2年3月24日 畑中香名子