Posted by on 2020年06月29日 in 風の心
令和2年7月号 風の心

数日間続いた2月の梅見茶事では、中国を始めとする新型ウイルスの拡がりをみて、濃茶は各服点で行っていた。先日、御家元がビデオにてご説明されていたように、円能斎宗匠がなさったような形式で、お一人に一服ずつ差し上げた。飲み回すことをしないため、次の連客へ残す心配もなく、それぞれが十分に召し上がられたことで、いつになく思い切り濃茶を味わっていただくことができた。かえって美味しく、嬉しく思うと仰っていただいたときには、本来のお茶の姿を認識できた。遠く古の時代、天目を使用して一人が一碗で召し上がった濃茶。その在り方を、改めて体感することができたのである。
また、飲み回しが常の今日において、ウイルス拡散という情勢だからこそ、この点前を行う意義と道理があると考え、初めてのことながらお客様には前触れもなく自然と波にのって頂いた。その結果、瞬間瞬間に通じ合う主客の掛け合いが何とも喜ばしく、良い茶事であったと思っている。

茶事のあと、毎月の待光庵たよりをお出しする中で、お弟子さんたちを始め多くの会員の皆様から、温かいお手紙を賜った。十分にお返事を書ききれずに気になりながら、この場をお借りして、御礼を申し上げたい。
皆様お便りを、有難うございました
ある方は、吉川英治先生の次のような詩を書いて下さった。

白梅は紅梅に倚り
紅梅は白梅に添ひ
相照 相映
いよいよ白
いよいよ紅し
昭和三十五年正月 英治

静幸庵の紅梅と白梅は、まさにこのように咲いていた。共に寄り添いながら、お互いを照らし、お互いを映し、その白さを更に白く、その紅さを更に紅く、引き立てていた。特に今年は花が開いてからの茶事となったため、よくよくその色合いが反射して、この詩のままだった様子が目に浮かぶ。

ふと思った。「花」だけではなく「人」もそうでなくてはいけないと。子供の頃、「人」という漢字を、二つの線がお互いに支え合っていると説明されて、人の世は支え合って成り立つことを教わった。しかし、この詩を読みながら、寄り添って引き立て合うことも大切なんだと感じている。
人には良い所も、悪い所もあって、その基準や価値観がそれぞれに異なっているから、ぶつかり合ったり不快に思ったりする。それでも、良い所を引き出して、認めて、お互いがお互いを相照(あいて)らし相映(あいうつ)したらどうなるだろう。その人があるから私がある、私があるからその人がある・・・そんな風に接していると、「忙しい時にごめんね、~お願い」と優しい言い方になったり、「大変ならこちらでやりますよ」と相手を気遣う言葉がでる。さらに相手に感謝する気持ちが生まれて、空気が穏やかに明るくなる。すると人は、人間的にも技術的にも成長するのかもしれない・・・そんなことを考えていた。勿論、人はそう簡単には変われない。現実はなかなか難しい。それでもこのような努力をすることで、「人」を知ることができる。

この新型ウイルスと共に歩む日々、変わらざるを得ない社会の中で、変わらない人の在り方がある。困難に遭遇する人も増え、様々な場面で感情がぶつかり合い、ストレスを抱える毎日、無意味にならないように生きることが大切。
今、清々しい緑に満ちている静幸庵の紅白梅は、優しい光を浴びて、無言のうちにそんなことを教えてくれている。

令和2年6月17日 畑中香名子