Posted by on 2020年12月25日 in 風の心
令和3年1月号 風の心

今日の茶事の流れに欠かせなくなっている「懐石料理」。足利義政の東山文化によって発展の兆しを見た茶の湯と結びついた懐石料理は、もともと修行僧が温めた石(温石-おんじゃく)を布で巻いて懐に抱いたことからきた、質素な料理を指している。
宮崎正勝の著書によると、宋の文人、蘇東坡が仏印禅師に「点心(食事のかわりなる小食)」として食を供したことが起源となり、禅宗寺院の簡素な料理として茶と共に日本にもたらされた。
もともとは一汁二菜、または三菜という簡単なもので、足の付いていない膳である「折敷」にのせられた。禅宗料理は中国料理を基本とし、「三徳六味」という中国の食の発想で成り立っている。三徳とは、軽軟、浄潔、加法。「六味」とは、苦、酸、甘、辛、鹹(しおからい)、淡の六種。
これが茶道のもてなしの中に加わったことで、より気持ちを込めた料理に変化してゆく。

以下、宮崎の文面をみてみよう。

応仁の乱のあとの虚無感、無常観は、人びとに日常生活の見直しを迫った。打ち続く戦乱による苦難が、日常生活を味わうことの素晴らしさを教えたのである。料理でも視覚、臭覚、味覚、聴覚の洗練が重んじられるようになり、逃避的趣味がとり入れられた。見た目に美しく、味わって奇なるものが求められるようになったのである。懐石料理にも精進物だけではなく、魚、鳥が組み入れられるようになる。
安土桃山時代になると社会も様変わりし、台頭した新興勢力の武士のあいだに華美な「茶道」がステイタスとして流行した。懐石料理も多くの食材を贅沢にちりばめる大名料理にかわる。懐石料理は、脱皮を繰り返しながら日本料理の主流を占めるようになる。
信長の時代に日本を訪れたイエズス会宣教師ルイス・フロイスは、『日本史』において懐石料理を次のように記している。
「日本はもののできない土地で、食物はけっして甘味とはいえないが、そのサービス、秩序、清潔および器物はあらゆる賞賛に値する。これ以上の調った宴会は一寸比をみないだろうと思われた。食事中の人数多なるにかかわらず、侍者の話声ひとつ聞こえず、驚くべき静粛な調った宴会であった。」
ルイス・フロイスは、料理の中身よりも食事の形式に驚嘆しているのである。

もともと日本の食事は一日二食であった。簡単な食をすすめる「点心」の拡がりが貴族や武士に間食の習慣を促し、さらに江戸中期にナタネ油が安価に手に入るようになると夜も働ける生活に変わり、庶民も含め一日三食が定着していく。このような食生活の変化に伴い、懐石料理もさらに進化を遂げて、茶懐石の世界が益々洗練されていった。
また、ルイス・フロイスの着眼した侍者の静かなる振る舞いは、水屋の心得として、最もスマートで美しい形として、現代のわれわれの心にも響く。

年末から心を込めて用意されたお節は、年明けに祈りと共に頂く。また新年は初釜などで祝膳がふるまわれ、皆にその年の幸多きことを願う。食とは生命を守る糧であり、祈りや願いを表す心の鏡でもある。神仏に感謝して、先人祖先にも感謝して、曇りのない鏡のような食を見つめなおす、そんな年末もよい。本来の茶懐石とは何か、それはどうあるべきか、考えてみるのも悪くない。
一本の大根に、一粒の米に、その一品に込める想いは、茶の湯の世界の一部として、我々にたくさんのことを教えてくれるに違いない。

令和2年12月20日 畑中香名子