Posted by on 2021年01月19日 in 風の心
令和3年2月号 風の心

新年明けましておめでとうございます。

2020年1月、お天気も良い中、新年を無事に迎えることができました事、嬉しく思っております。
皆様におかれましては、穏やかで寿ぎ深い新たな時をお過ごしのことと、お慶び申し上げます。

本年は、初めて初釜を取りやめ、また緊急事態宣言によって、1月の勉強会や稽古など、すべての行事を中止に致しました。ご承知くださいました皆様には、心より感謝申し上げます。
お家元からも昨年末に、世情を鑑みた重いご決断を賜りました。みな苦しい気持ちを抑えながら、何が一番大切なのかを熟考して選択しているようです。お茶に親しむ、お茶に学ぶ、お茶を愛してやまない皆様の、安全と安心を守らねばならないという思いが、第一優先です。そしてまた、にこやかに茶筌が振れるようになったら、是非皆様と共に、笑顔で再会したいと思っております。

さて、丑年の今年は、『十牛図』がよく取り上げられたことでしょう。中国、宋代に書かれたこの本は、禅の教えの入門書であり、横田南嶺老師は、牛にたとえた「本当の自分」を探す旅を通じ、人が悟りに至るまでの段階が表されている、といいます。「本当の自分」をどうして牛にたとえたのだろうとまた違った疑問が湧き、もう一度読み直したくなりました。
勅題は「実(じつ)」。①み、くだもの。「果実」②みのる。「実生」「結実」③みちる、内容が備わる。「実質」「充実」④まこと、まごころ。「実直」「誠実」⑤ほんとう、ありのまま。「実例」「真実」 このように、意外と広い意味を持っています。特にみのる、みちるは心の満足を呼び、まことやまごころ、ほんとうやありのままは心の純粋さを感じさせます。
初釜が行われていたら、きっとそんな会話が交わされ、皆様に笑顔が広がり、知の欲求が躍動し、美味しいものをいただいて、新たな希望に満ちた幸せな足取りで家路に着いておられたことでしょう。
叶わなくなってこそその有難さに気付くのは、人間の愚かさ故。何事にも感謝とは、普段からこの有難さに気付いているからできることだと、反省します。

見えない敵に、暗いニュースが毎日駆け巡る中、まず「感謝」するという気持ちになると、何となく心が明るく、軽くなり、嫌なことも少なくなります。
令和三年、今年は「感謝」をモットーに、皆様と共にお茶を楽しむ待光庵であるべく、頑張って参ります。本年も、何卒宜しくお願い申し上げます。

 

待光庵物語

この緊急事態宣言を受けて、京懐石りほうでは、再びお弁当のテイクアウトを行っている。試行錯誤のうちに商品を完成し、撮影、広告構成と写真の調整をしてチラシ作り、販売、と、何とか前に進んでいる。

早速チラシを配布に行ったのは、寒い寒い雪の降る火曜日だった。息が白い。歩いて歩いて歩いた後、日が落ちそうな夕方、雪混じりの雨になる頃に終わりかけて会社に向かっていると、薄暗い中を向こうから制服姿の男の子が歩いてくる。背は高くないけれど、ブレザーからしっかりとした体格のキリッとした空気がわかる。
すれ違いざまに、あっと思った。えっと、えっと、名前が出でこない。何だっけ、あの・・・彼は気付かずに通り過ぎる。

「あの、あの、あの・・・」私が声をかける。彼が振り向く。でもわかってもらえない。私はマスクを外し、
「あの、お茶のお稽古の・・・」私、何を言っているんだろう。彼がはっと気付く
「あっ・・・こんばんは。」どうやら私だとわかってくれた。
「久しぶり、元気でやってる?」今何年生?どこの高校?剣道はどう?色々聞いてしまった

彼は小学生の時に子供茶道クラスに所属し、お茶を学びに来てくれていたS君。剣道着で初釜を手伝ってくれたこともあった。中学に入ってから学校や部活が忙しくなったため、徐々にお茶はおしまいになった。四年ぶりに出会ったそんな彼が、今は高校一年生。剣道三段になったことを教えてくれた。「はいっ。」か「有難うございます。」しか言わないような、口数の少ない彼は、まったく変わっていなかった。成長して大人っぽくなっているだけで、礼儀正しさや素直さが、まっすぐ迫ってくる。

「たまに遊びにおいでね。お母さんに宜しくお伝えください。」
「有難うございます。失礼します。」そう言って、私に背中を向けた。

それから2日後、木曜日の夕方6時15分。オフィスにいた私の下へ、彼が突然訪ねて来た。制服姿だ。
「先生、学校が遅くなって、お稽古に間に合わなかった。」
子供稽古は、毎週木曜日の5時から1時間。S君は稽古が終わる6時には間に合わず、それでも茶室に我々がいないことを聞いてオフィスまで来てくれた様子。見ると手には、あの小学校の時に持ってきていた、小さな水色のポーチ。その中には帛紗と扇子と懐紙が入っているのを、私は知っている。
「もしかしてお稽古に来てくれたの?ごめんね、緊急事態宣言後、1月のお稽古は大人も子供も全て中止なの、今日やってなかったんだ。うわーほんとにごめんごめん、ごめんね。」

彼が言うには、木曜日は剣道の部活がないから、お茶の稽古に来られるらしい。それ以外の細かいことは、何も言わないで立っている。一昨日出会ってから、部活のない木曜日には稽古に行こうと決めたのか?それもよくわからないけれど、とにかく稽古に足を運んで来てくれたのだ。嬉しい。嬉しい。嬉しい。

子供たちとの稽古は、「茶の道」を通じてものの考え方や見方、人とのコミュニケイションや道徳的な心の学びを共有するものだと思っている。決して我々が教えているわけではなく、我々も彼らから多くを学ばせていただく、学びの共有時間である。何かを与えて何かを得るような関係ではない、純粋な「智」の追求だと考える。
こうして彼が来てくれたことも、そんな「茶道」だからこそではないか。だからこそ「茶道」に、それを行う意義がある。

緊急事態宣言が解除されて、また稽古が始まったとき、直心庵できっと、彼の姿を再び見ることになる。あの水色のポーチには、彼の思いのすべてが入っているはず。それを早く、早く開けてあげたいと思うこの頃である。

令和3年1月18日 畑中香名子