Posted by on 2021年06月30日 in 風の心
令和3年7月号 風の心

2009年6月より、テーブル抹茶教室を行っている。細かい所作をゆったりと確認しながら割り稽古を楽しみ、その成果をじっくり丁寧に盆略点前で確認、茶箱にも挑戦し、小習で幅を広げ、工夫して四ケ伝まで頑張っている。時折茶事を行い、また七事式は豊かな空気の中でおおらかに積み重ね、いつの間にか花も香も、和歌やお茶の聞き分けも、自然とできるようになった。
穏やかにのんびりと行うことで、感じたり気付いたり、身に付いたりすることがある。機械的に同じことを繰り返すのではなく、今日は今日の和巾点を、今日は今日の荘物を、自分らしく行う。笑顔が広がるのである。

ほとんど初心者の方々と始めたこの会は、いつの間にか足の具合の悪い茶道経験者の方々もお入りになられた。その中には、もともと普通の社中稽古に所属されていた三人の方が含まれている。
Iさんは以前、このたよりに書かせていただいた方。ある時自転車に乗っていて、車輪に物が挟まり転倒、骨折、入院、手術、リハビリの日々・・・。何度涙した日があっただろうと思うと、今でも胸が詰まる。
Tさんは、ご自宅で転んで、膝の半月板を損傷。歩くことができるようになるまで、長い長い日々だったと思う。以前のように膝を扱うことはできない。動くことへの恐怖心もあり、慎重に一歩一歩、ゆっくり確認しながら歩く。
Cさんは、正座ができなくなり、足が思うように動かなくなった。昔から底抜けに明るくて、冗談を絶やさない存在感のある方。「私、無口なの。」と言いながら、「六口」である為によくしゃべるのだと、今でもおっしゃる。耳が遠くなられ、若干冗談がズレてさらに激しく面白い。
三人ともお社中の時は、春に京都で家元見学をしたり桜を愛で、秋に別のお弟子さんの別荘に行ってお茶事を楽しみ、初釜や各種茶会のお手伝いをいただき、官庁指導の際のモデルになって下さったり、数々の茶の湯旅行をご一緒するなど、多くの思い出を共に重ねてきた、お世話になった仲間である。

テーブル教室で、そんな人生の先輩たちが点前をする姿を拝見していると、思い出が次々と込み上げてくる。美しい指先、落ち着いた柄杓の動き、絶妙な間合いと深い知識。今、確かにスローダウンした動作である中、以前はもっと素早く、もっと活動的であった皆さんの胸の内はいかばかりかと、つい終了間際の講義の中で、感じたことを話してしまった。Tさんの目に涙が溜まる。Iさんが遠くを見つめる。Cさんがうつむく。
しかし、話を続けた。怪我をして不自由になった苦しい時期を乗り越えて、こうして再びお茶でつながり、茶の湯が皆さんの心を癒してくれているように見える。戻ってきてくれた勇気に感謝、同じ空間にいられることに感謝、この溢れる喜びを伝えたいと。
たとえ動きはゆっくりでも、一碗を点てるという行為を通じて、歴史や文化に触れ、四季折々の自然に包まれ、美味しく美しい食に元気をもらい、道具の幅広さに夢中になれる。「今、ここに私は生きている」と、茶の湯が感じさせてくれる。だからこそ、こうして稽古に来て下さるのではないか。そんなことを思わせてくれているのが、テーブル抹茶教室である。

人は老いる。「身体」は消耗品である。それでも「心」は、本人の気持ち次第で老いることはない。むしろ若返ることさえある。
皆様が足を運んで下さって嬉しい。多くを教えてくれる茶の湯、このご縁に感謝するばかりである。

令和3年6月28日 畑中香名子