Posted by on 2021年07月28日 in 風の心
令和3年8月号 風の心

もうすぐ8月を迎えます。コロナ禍での東京オリンピックが開催され、日本の夏は、例年とは異なる様相を見せています。人々の心は、金メダルに湧く嬉しさと感染を不安に思う暗さとが、複雑に入り組んだ状態のまま、毎日が過ぎていきます。多くの環境変化に対応しながらの仕事、家庭や日常生活も変わり、人々の心の行方はどこへ向かうのでしょうか。

新暦の8月8日は旧暦の7月1日。8月の14日が7月7日の七夕、笹の節句です。つまり、この行事は日本の歴において、7月から秋となる初秋の祭です。現在の8月も半ばとなれば、蜻蛉が飛び始め、空は澄み渡り、秋の気配を感じる頃。文明のなかった時代、明かりのない中で古の人々が夜空を見上げると、今でいうミルキーウエイ、天の川がきっとくっきり見え、満天の星に心を動かされていたことでしょう。
それでもその日に降る雨を「七夕雨(たなばたあめ)」と言います。旧歴の7月7日に降るこの雨のことを、「催涙雨(さいるいう)」とも呼んだようです。七夕にしか会うことができない織姫と彦星が天の川を渡れなくなり、二人が流す涙になぞらえて、こんな美しい切ない言葉を使って雨を表現していました。
和歌集などを見ると、数々の歌に詠まれる七夕。牽牛と織姫が楽しみに、楽しみにしていたこの夜には、当時の人々がそれぞれの立場で、多様な想いを描いていたことが窺えます。

おほかたを思へばゆゆし天の川 今日の逢ふ瀬はうらやまれけり (紫式部集・風雅和歌集)

《世の常の恋を思えば、牽牛と織姫の年に一度の出会いなど不吉ですが、あなたに逢えない今日ばかりは、二人の逢瀬が羨まれることです。》

天の川 逢ふ瀬は雲のよそに見て 絶えぬちぎりし世々にあせずは

《天の川での牽牛と織姫の逢瀬は、しょせんその雲居での出来事であって、私たちの絶えぬ縁がこれからもずっとあせないでいればいいではないか。》

七夕の逢ふ瀬は雲のよそに見て 別れの庭に露ぞおきそふ (源氏物語)

《七夕の逢瀬は空の雲の彼方のこと。このわたしは紫の上と別れた庭で、涙を流すばかりであるよ。》

かささぎの渡せる橋に置く霜の しろきを見れば夜ぞふけにける (百人一首)

《鵲が渡した橋に霜が降り積もっているように、夜空が星で真っ白になっていると、世もすっかりふけたのだなと感じてしまうよ。》

今年の新暦8月14日、本来の七夕の空を見上げてみませんか。皆様のお心に、どんな感情が湧いてくるでしょうか。

七は女性数で、完全性・宇宙を表す聖数と、書物で読みました。七宝の文様は、七つの宝の象徴ですが、その円の中にすべてのものを包み込み、安定した「完全性」を表現します。そして、その円が隣へ、またその隣へと広がっていく様子は、円満さや永遠を示し、それらが果てしなく広がってゆく豊かな世界を見せてくれます。七宝文様とは、広い世界の幸ある姿を、ある時は着物に、ある時は道具に、ある時はお菓子にさえも見せてくれる。日本人の深い感性を感じるものです。
この日の空が、満天の星に輝いていたならば、これからの世界に、混乱や困惑を払い、光に照らされた明日を想い、願う瞬間にしたいものです。

令和3年7月26日  畑中香名子