Posted by on 2024年06月25日 in 風の心
令和4年7月号 風の心

映画「ちゃわんやのはなし―四百年の旅人―」を見た。感動した。感動は、人の歴史と、人の心にしたのである。

このドキュメンタリー映画は、四十代半ばの監督が仕上げた。豊臣秀吉の朝鮮出兵、その際に各藩に連れ帰られた朝鮮人陶工たちに始まる日本の焼物、薩摩焼、萩焼、上野焼など。主に薩摩焼の十五代沈壽官氏の語りを中心に、四百年の陶芸史を振り返り、代を継いで守り抜くことの困難、偏見や差別による精神的なご苦労、素晴らしい作品が生まれる道のりなどを紹介している。

日本と韓国の陶芸文化の交わりを、歴史的側面や日本人の定義は何かという自分のアイデンティティに苦悩する心情面から捉えている為、意外に茶の湯者の間に映画の存在が知られていない。しかし、茶の湯者こそ、この映画を見るべきだと思っている。知っているようで知らなかったことがたくさん含まれ、大変勉強になる。

豊臣秀吉が行った文禄・慶長の役は、日本の戦争史上に残る最も多くの日本兵を朝鮮へ出兵させた戦いだった。各藩から多くの日本人が出国し、激しく戦い、帰国時に陶工を中心とする朝鮮の人々を連れ帰った。それは、室町時代より日本人が特に中国からの唐物を高評価し、続いて利休時代に朝鮮半島で焼かれた高麗系の焼物にも目が向けられた為、茶の湯の隆盛と共に、各藩では当時レベルの高い技術を持っていた朝鮮人陶工たちをこぞって望んだのである。特にこの朝鮮出兵で渡航した九州・山口地方の諸大名たちは、良質の茶道具によって中央政権と係わるためにも、藩内で朝鮮人陶工に焼物を焼かせた。山口県の萩焼、鹿児島県の薩摩焼、福岡県の上野焼・高取焼、佐賀県の有田焼、これらはみな、諸大名が連れ帰った朝鮮人陶工たちによって興った。

各藩に連れてこられた陶工たち、日本での彼らの境遇は決して良いものでは無く、辛く厳しい生活を強いられる中で陶芸と向き合ってゆくことになる。言葉も通じない、生活習慣も異なる、孤独な異国での毎日。故郷へは帰ることが叶わず、代々を日本で過ごすなかでその継承が行われて来た。このことがいかに過酷な事であるかは、映画を見て頂くことで正確に見えてくる。

特に沈壽官窯に於いて十二代から十五代までの変遷は、貴重な真実を我々に教えてくれる。廃藩置県により藩営が崩壊する中で、民営の窯元として経営を始めた十二代。ある意味ここを起点として、現在の壽官窯がある。十二代の高い技術によってロシアとの結びつきも深まり、沈家は発展を遂げてゆく。十三代を支えた十四代は、政治の世界を目指していた若者だった。十四代が広い交友関係にも支えられてその焼物の世界を大きく広げたのは、焼物を行う前に別の世界に居たからなのだと知った。十五代はそのような歴史を背負う中、時代の変化と向き合いながら苦悩を繰り返し、今日を築いている。今十六代がその姿をまた見つめているのである。

好評につき、追加の上映が決まった様子。是非一人でも多くの方々に、茶の湯を志す方にはなおさら、ご覧頂きたい映画である。そしていずれまた、皆様と共に感想を語り合いたいと思っている。

令和6年6月24日 畑中香名子