Posted by on 2024年10月25日 in 風の心
令和6年11月号 風の心

先月号からの続き

9月21日

早朝、朝の温泉に入る前に、海辺へ散歩に出た。まだ薄暗い中をゆっくりと太陽が昇ってくると、段々と空が茜色に染まっていった。思わずシャッターを押しているうちにもの凄い迫力で夜が明けて行き、今日もいいことがある・・・と思いながら露天風呂へ向かった。

宿泊先のご厚意で駅まで送って頂き、新水俣駅から新幹線に乗って鹿児島中央駅へ移動。到着後すぐにホテルヘ入り荷物を置くと、タクシーに分乗して茶会会場である仙厳園へ向かった。私達が茶会の受付を済ませた頃、茶席を終わられた大宗匠が、お車でご移動の為お出ましになられた。お元気そうなお姿に皆、直立不動でお見送りをした。茶席は鹿児島らしい心温まるお道具で、濃茶席では大宗匠の「安穏是無事」というお筆が胸に響いた。古薩摩の茶入は鶴首で、小堀権十郎の筆である。青年部による薄茶席では、坐忘斎御家元筆「松無古今色」、琉球漆器ハイビスカスの香合、桜島絵茶碗、西郷さんの子孫である日置南洲窯の火入など、郷土の味わいを守る若い輝きを感じた。

終了後は城山ホテルにてスペイン料理のかなり美味しいランチを満喫。ホテルから桜島が一番美しく見えるガラス張りのその席で、ゆったりと歓談を楽しむのは、最高の贅沢な時間となった。

大宗匠ご亭主の和合の茶会では、壇上で凛々しいお点前をされるご様子を会場から拝見し、お客様とのやり取りから、一碗の茶を以って心を紡ぐとはこのような事であると感じていた。後の特別公演「平常心の大切さ」を拝聴すると、我々若い者がもっともっとしっかりしなくてはいけないと反省。夕方からの交流懇親会は、参加者総勢六百名前後が一堂に会する盛大な宴となり、薩摩琵琶の音色と歌声が会場の皆を惹きつけながら幕を開けた。現地の方々、その細やかなお心遣いの数々を振り返り、美味しいお料理と弾む会話に笑あるれるひと時が過ぎた。

9月22日

翌日最終日は、鹿児島支部の大型バスに乗り、一路鹿屋市串良平和公園へ。平和記念献茶式並びに旧海軍航空隊串良基地出撃戦没者追悼式に参加。雨天のため拝服席もアリーナ内で行われた。お菓子は大宗匠命名の「古今タルト」である。鹿屋市老舗和菓子店「富久屋」は、特攻隊ゆかりの「海軍タルト」を今も尚作り続け、その収益を同店企画の、特攻隊員慰霊春の灯籠流し開催資金に充てている。しかし、「海軍」という名前が戦争を連想させる負のイメージがあるとして百貨店などにも置いてもらえず、伸び悩んでいた。現状を打開しようと2021年、タルトを献茶で使ったご縁から大宗匠に手紙で命名をお願いし、新たに「古今タルト」と生まれ変わった。地元の方々の、先人への強い感謝と弔いの想いが、お菓子に新たな力を与えたことを知った。

国歌斉唱で始まった式典は、当地の戦没者追悼式に平和記念献茶式が加わる形で、大変盛大かつ厳粛に行われた。大宗匠は百一歳にして天目二碗のお茶を点てられ、遠くを見つめながら静かに、深い想いで供えられた。海上自衛隊群司令の追悼の言葉は、今なお国を守る立場から先人への感謝に満ちていた。遺族代表の慰霊の言葉・遺書の朗読は、直ちに私たちを昭和20年へ連れて行った。若き勇敢な人が家族の為に命を捨てるとき、両親・子供・妻に残す、透き通るような美しい日本語・・・その裏に隠された重い無念の想いを感じながら、戦争の現実が迫って来た。大宗匠を始めとする「同期の桜」を斉唱された、生き残っておられる方々の背中は、小さいけれど多くを伝え得る広い広いものだった。

最後に女子高校生が平和へのメッセージを朗読した。赤紙が来て、家族が「おめでとう」と言うことに疑問を持ち、言いたくても言えない当時と、SNS等で思ったことを何でも言える現代との大きな違いに着目した。何でも言える現代だからこそ、相手を思いやる気持ちで言葉を発しているだろうかと・・・

今回も、ご一緒の皆様がおられるお陰様で、二度とない学び多き充実した旅行となった。体調を整えて、来年の沖縄を再び良き心の旅にできるよう、努力したいと願っている。

令和6年10月22日 畑中香名子