Posted by on 2025年03月1日 in 風の心
令和7年3月号 風の心

 今年も無事に梅見の茶事を終えることが出来た。枝先まで美しく花開き、小川の水に来る鳥たちを、まあるく枝垂れたその枝の中に引き寄せて、辺り一面別世界のような姿と香りを漂わせていた梅・・・父が生きていたら、どんな風に言うだろうか・・・あの梅を見上げて、優しく微笑んで・・・

 早めに席入をして始まった夜咄茶事は、立礼で行った。寄付も椅子を利用して、暖かい甘酒をお出しした。菅原道真公を茶事の主役に選び、時少し遅れて書かれた平安時代の源氏物語、宮中の菊水や扇面を散りばめて、栄華を上り行く姿を想像して頂いた。
 腰掛には温かい達磨の手あぶり、山の稜線をかたどる煙草盆に松の絵の火入と、京都を連想させる道具を並べた。

 初座、本席に入ると、美しい檜扇のお出迎え。床には花を詠んだ懐紙を。見事な冠の香炉はその位を表し、お客様には、いよいよ道真公の才と知と教養の先にある、華やかな時代の入り口に立って頂いた。
 お口の甘みが失せないうちにと点てた前茶の棗は、都の御所蒔絵。茶碗は当時確立した狂言を取り上げて狂言袴。炉縁の古鏡は暮らしの一部を、羽の赤と青は錦の衣を、それぞれ連想させた。釜の牛と香合の牛車が、丑年の道真公をお乗せした。懐石では季節の旬を存分に味わって頂き、煮物碗の波の蒔絵は、春の海。旧暦の二月中旬、瀬戸内海を通って博多まで、船で流されてゆく道真公の次なる展開を暗示した。

 すっかり暗くなった露地で手燭交換の後、後座が始まった。湯桶の温もり冷めぬうち、蠟燭の明かりが優しく照らす濃茶の時間だ。天神様と呼ばれ、神になってゆく道真公の晩年と、その心情を想い、茶事は新たな姿で皆様の心の中へ入って行く。
 炉縁は喜三郎の無地に替え、日陰のかずらにはしめ縄をして、炎に影が揺れる石菖は寂しさを感じさせた。つい数年前までの、都での絢爛豪華な生活を、黒塗りの上に描かれた古い蒔絵や菊置上で示し、多くを回想しながら亡くなっていったであろう公の姿を感じて頂けたら幸いである。抹茶の詰も京都、松江、八女と南下し、干菓子は藤丸の清香殿。岩木さんから頂いた生地の器は、まだ杉の香りが残っていた。

 茶事が終わって、ある日ご参加された方より、日経新聞の切り抜きを頂いた。能楽師、安田登氏の素晴らしい文章である。梅は夜見るもの、その「香りを見る」ものであったという、深い心眼のお話だ。
 この尊い文章を読んで、私は大事な点を忘れていることに気付かされた。自分は茶事のストーリーを作り上げることに夢中になって、梅を、その香りを見ていたであろうか・・・毎年咲く梅の木が、自然の姿で我々人間に、暫しありのままの美しい花と香りを届けてくれる。その有難い喜びを本当に感じ、感謝し、見上げていたであろうか・・・梅見の茶事として一番大切な部分は何なのかを、深く反省した。そして自分の文章がいかに拙いか、恥ずかしく思った。

 まだまだ未熟である。形よりも感性、感じる心を大切にするよう、経験を積まなくてはならない。知らない事を知る努力もしなくてはならない。春の日、また再び課題を教えて頂いた・・・全てが終わって梅を見つめながら、そんな事を考えていた。

2月26日 畑中香名子