先月号にて、松平不味とはどのような人物だったのか、歴史家の視点をもとに小さな考察を行ってみた。藩の財政改革を行い、大きな赤字だったその数字を黒字にしてゆく立て直しを評価する半面、農民への強硬な重税、そこから生まれた余剰金で高価な茶道具を収集する事への批判なども見ることが出来た。
一方で当時の茶の湯文化を発展させ、松江の文化を育て守ったことへの大きな貢献に着目するものもあり、いかに不味公が江戸や京都の人、物以上に松江のそれを大切に愛していたかを指摘していた。
このように、松平不昧という人物を知る時、茶の湯との係わり無しには語ることができない。したがって、不昧公自身がどのような茶の湯観を持っていたのか、茶の湯の世界で何を良しとしていたのか、本人の執筆した資料から見てゆく事とする。
「茶礎」
茶の湯は、何の為にしたるといふ事を、皆不知故に、事理本意に違ふ事多し、夫茶道は知足の道也、知足は足事を知ると読み、皆人々程々に、是にても事足物と云事を知事也、
今の茶の湯といふものは、古物みせかけのやうなる斗りにて、事を好み、金を入れて侘の体を扱ひ、知足の体をなす事になりしなり、数寄屋古柱にて造ること、これ此様なことにても、家雨漏らず、住居もなり、又茶を立てゝ楽めば、又楽みも其中にあるものぞと、手本に作りたるなり、此の本意を知って茶をすべし、これを知らずしてはせぬがよし、先づせぬ方が上分別なり、
彼は、その文章「茶礎」に於いて、茶道は知足の道であると説く。程々に、是で事足りるものだということを知ること、それが茶道であるという。
今の茶の湯は、古く見せかけたようなものばかりで、(奇異な)事を好み、高額を費やして侘びのように扱い、知足のように見せている。数寄屋を古いもので作る、このようなことでも、家は漏らぬほどで住居も成り立ち、またそこで茶を点てて楽しめば、その中に楽しみもあるものだと、手本に作るものである、此の本意を知って茶をするべきであり、これを知らないならばやらない方がよい、先ずやらない方が分別のあることよ・・・このように理解してみた。
不昧公と言えば、唐物、高麗物、和物の名物茶道具を収集し、膨大なコレクションを作り上げ、それらを整理して『古今名物類聚』全十八巻を刊行している。自身の茶道具を宝物・大名物・中興名物・名物並・上に分類し、格付けを行うなど、全体像とその構成を明確に示していることで、どれだけの茶道具を収蔵しているかを明らかにした。
その彼が、「茶の湯は知足の道である」と主張し、それを知らないならばやらない方が良い、とまで言う。これは一体どのような意味なのだろうか。
不昧公が「茶礎」を執筆した二十歳の頃から約30年後、53歳の時に著した「茶道の大意」には
茶湯ハ稲葉に置ける朝露のことく、枯野に咲けるなてしこのことし、この二ヶ条骨髄をつくせり
と記されている。朝の葉に生まれて日の光に輝く玉露のように、ただそこに自然と存在し、何の気負いもなく在るだけでいい。たとえ枯野に輝くなでしこであっても、それは主張でなく意志でもない、あるがままの姿。茶の湯とは、そこに意味すらもなく、ただ無心に在ることである、とでも解釈できようか。「知足」から「無心」へと、更なる悟りへ進んだかのような、そんな言葉である。名物茶道具で茶の湯をする不昧公の無心とは・・・
もっともっと学習しない事には、これらの意味するところは理解できない。しかし、出雲、松江への素晴らしい旅によって、そのきっかけを頂き、疑問を持ち、また一つ考えるべきことを見つけられた。こうして知らぬことを知る度に、「人生は短いぞ、急がねば!」と、思うばかり(笑)。
令和7年6月26日 畑中香名子


