Posted by on 2025年09月28日 in 風の心
令和7年10月号 風の心

 8月は本当にたくさんの想いを抱いた。

8月1日、母の体調を見ながら、朔日のご挨拶に伺うことが出来て、久しぶりに坐忘斎御家元のお話を伺えた。とても嬉しかった。
鵬雲斎宗匠が入院された経緯や、病院ではお元気にリハビリをなさっておられること、八朔当日の朝もお電話を下さり「今日は八朔だね、皆さんに宜しく」とおっしゃられたことなど、そのお言葉に直に触れ、有難き時間に感謝の気持ちが溢れた。

 そして8月14日の出来事・・・驚き、そして暫くは無の時間が流れた。何とも言いようのない、とても重く苦しい無の時間。17日黙祷をして始めた茶之湯の風の講義、21日弔問記帳に伺いお焼香をさせて頂いたあの日、23日から三日間長崎戦没者慰霊祭の旅で戦死した祖父の霊を弔い、26日は奥伝稽古、そして連日の稽古・・・忙しいのはいつもの事、しかし心が違う。何か大きな節目の中で、過去と未来が錯綜した。

 9月1日は、どうしてもご挨拶にお伺いしたかった。平成茶室「聴風の間」の上座に、坐忘斎御家元がお座りになる最初の日、この大切な朔日に何としてでも、と願った。幸い母の体調も良く、無事に着座させて頂くことが出来た。鵬雲斎宗匠への感謝と共に、再び坐忘斎御家元との茶の道を誓う気持ちで、利休道歌、ことばを唱え、お話を伺った。8月13日、鵬雲斎宗匠とお盆の入りにみえるお客様の話をし、お互いに手を合わせ合掌して別れたのが最後となってしまったことなど、ご心痛を抱えてお話し下さった。

 この日、聴風の間のお軸は「大鵬一挙九萬里(たいほういっきょすきゅうまんり)」、御家元が円山伝衣老師のお筆とおっしゃったように思う。伝衣老師は広島県のご出身で、大正時代にご活躍、大徳寺の管長を務められて淡々斎の得度の師でもある。久しぶりに伝衣老師のお筆を拝見した。
そこに、鵬雲斎宗匠を想ってこのお軸をお選びになった御家元の、お心の深さを見た。人形師:亀田均という方が、次のように書いている。

「大鵬は想像上の巨大な鳥のことで、もとは鯤(こん)という巨大な魚が転身して鵬という鳥になったと、『荘子逍遥遊篇』にあります。鵬が南の果ての海(南冥)に飛び立つとき、一挙に九萬里の高さまで舞い上がると言われています。」

まさに大鵬は、鵬雲斎宗匠のような鳥である。そして今、一挙に南へ、九萬里飛び立たれた。暫く暫く、この七文字に見入ってしまった。

 二階へ上がり、いよいよ奥伝稽古を始めるために「看月の間」へ入ると、御家元のお筆で「一期一会」と書かれたお軸が掛かっていた。更に感動し、腑に落ちてしまった。それは夏の間読み返していた、坐忘斎御家元著『自分を生きてみる―一期一会の心得』(中央公論社二〇〇八)のせいかも知れない。新しいこれからの本当の歩みに、その一瞬一瞬を大切に刻んでゆく・・・坐忘斎御家元の時代として、その貴重な時間を大切に生きてゆく・・・我々もそんな気持ちで修練を重ねなければいけないと、痛感した。

 ふと、婦人画報七月号に書かれていた、坐忘斎御家元の「今日庵」についての解釈を思い出した。

「裏千家の代名詞ともなっている「今日庵」。今日という一瞬を大切に生きること。それが、名前の由来であると一般的にはいわれている。

茶道裏千家十六代家元千宗室さんは、過去の積み重ねを伝えるのは今日のみ、という意味も、「今日」の二文字に重ねている。なぜならば、明日はわからないから。」

今日、今、この一瞬に、過去の積み重ねが伝えられている。だからこそ一期一会、この時を大切にすることが、「明日」に繋がってゆく。
そして写真で見る元伯宗旦筆「山高月上遅(やまたこうしてつきのぼることおそし)」。身の丈にあった、自分らしい、そのタイミングで月が上がればよい、焦ることはない、という言葉に、私自身も励まされる。御家元筆「黙如雷(もくにょらい)」黙するは雷のごとく強し、という言葉を知り、自分を戒める。

 今日という日を、大切にしたいと思う。自分の周りにいる大切な人との時間を、大事にしたいと願う。時は自然と積み重なる。だからこそ今をどう過ごすのか、自分に突き詰めてみる。そんな事を考えさせて頂いた9月1日に、深く感謝をしながら・・・

令和7年9月24日 畑中香名子