Posted by on 2025年11月4日 in 風の心
令和7年11月号 風の心

 私には四つ年上の姉がいる。小さい頃から常に前を向いて力強く進んでいる彼女は、個人的に私の尊敬する人であり、良き理解者であり、その一言で頑張らねばと思わせてくれる、とても大きな存在である。社会的にも、彼女が所属する専門医療の世界では、日本のトップ層でリーダーシップを取っている。

 もう10年近く前の事だ。あれはどこかからの帰りだっただろうか・・・ある飛行機の中で姉と並んで座っていた。「もしも今、自分の命が無くなると言われたら、何をする?」と聞かれた。ドクターである彼女の質問には、きっと何か意味があるのだろうと思いつつ、素直に「子供たちに手紙を書く。毎年誕生日に読んでもらえるように、何通も何通も書く。」と答えた。そこから様々な人や事と関係して生きていること、今を生きる患者さんのことなど、語り合ったのを覚えている。精一杯の努力で人に尽くす彼女の真剣さは、今でも変わらない。

 数少ない、彼女がとても大きな壁を乗り越えるのが大変だった時、彼女の運転する車の助手席で話を聞いていた。「私には好きな禅語がある。」と言った。「紅炉上一点雪」であると。燃え盛る炉の上に舞い降りた小さな小さな雪のひとひらが、瞬く間に消える。迷いや私欲という雑念、あれこれ物事を分別せずに運命に任せて精一杯生ききる境地、または一瞬の出来事である人生のはかなさを示す言葉、と私は学んでいた。ポール・ギャリコ『雪のひとひら』を思い出しながら、無言のうちに姉の辛さを感じ取った。乗り越えるのは自分自身だから、大変なことは一切話さない彼女の心中を察して、何も言えなかった。

姉には3人の娘がおり、この10月末、3人の中で最後に次女が結婚をした。彼女は小学生の頃から当庵で茶道を勉強し、学生時代はずっと茶道部で、今も家元の稽古に通っている。ニューヨークで生まれた時からお世話をしてきた私にとって、我が子のように可愛い。親族総勢16名に連れ合いを入れると19名が京都に揃い、近頃にない古式ゆかしい、とても良い結婚式を味わった。女子の多い家族の為、10名は振袖や留袖、色留袖を着て、艶やかで華やかなひと時だった。

 その際、姉の長女が今年の6月に出産した男子、私の母にとっては初ひ孫と母とのベストショットを写真に撮った。ひ孫はゼロ歳ベビーカー乗車、母は90歳ソファー型車椅子乗車、その年の差90年という良い構図だった。家族全員が幸せな満面の笑顔に溢れ、可愛い!の声をあげながら携帯を向けるひと時。嬉しかった。

 時代や環境は異なっても、母もあの赤子のように生まれ、成長と共に多くの経験を重ねて、今こうして座っているのだと、見つめながら思っていた。90年の長い人生に波乱万丈の出来事を乗り越えて、今ここにいる。母は人に尽くすことを自分の母親、私の祖母から学び、その教えを貫いて来た。だからこそ今日、待光庵を始め多くの皆様の温かさに囲まれて、日々を過ごせている。
思い出せば明治生まれの祖母も同じだった。袴でテニスをし、学校にお弁当持ちのお側役が付いてくるような鹿児島の名家に生まれた祖母は、大学も卒業した。その後結婚するも、夫が戦死。五人の子供を育てるために教員に復職、お弁当を持って来られない生徒さんを別の部屋へ呼び、自分のお弁当を食べさせたと聞いている。祖母が玉川学園で亡くなった時、昔の生徒さんが駆け付けて、その様な話をしてくれたそうだ。人の情が人の心を支えたのだと思った。そしてその祖母の精神が、脈々と受け継がれている。

 京都では、母の身体を案じて、もう一泊過ごした。姉と、私の長女と4人で夕食を取り、次の日は、有馬頼底猊下にお目にかかることが出来た。このような感激は久しぶりだった。この続きは次回に・・・

令和7年10月28日 畑中香名子