(先月号からの続き)
2月号にて、裏千家の茶人、名誉師範、石川県人である大島宗古氏(1907‐1999)の文章をご紹介させて頂いた。裏千家十一代家元玄々斎宗匠と前田藩重臣奥村家の御茶道堂であった湯川宗俊の、一客一亭雪の茶事について、大島氏が宗俊の手控えを解説されているものである。今回は、その様な大島氏が同じ場所、一井庵(いっせいあん)で行った雪の茶、飯後の茶事について抜粋したい。
当時のままの記載によると、正客は御釜師宮崎寒雉老(十三代だと思われる)、次客は大樋窯大樋年雄氏(現 大樋長左衛門氏)、末客が美術商平沢主人。
待合の壁床には淡々斎宗匠筆「紅炉上一点雪」の短冊、半東より出された香煎に連客は身内を温める。土間腰掛へ進むと、足元には大炉が設けられ赤々と燃える炭に暖を取る。雪国の冬の茶会は、厳しい寒さと足元の悪さに対する心配りが欠かせない。外は一面の雪景色。やがて蹲踞に水を満たす音が聞こえ、迎付の一礼。老客は心入れの湯桶を感謝して使い、若い客は亭主の配慮に感謝しつつ冷水にて口漱を。
初席「直心庵」へ入り、本床を拝見する。掛物は朧月庵仙叟宗室消息「やがて春ともなれば、おめもじのうえ、何かと御教えいたそう」。席が定まり、主客の挨拶。亭主が「あいにくの雪にて、お足元の悪き中を・・・」と詫びると、正客はすかさず「いやいや、真に潔き日に相成りました」と反って雪をたたえる口上を述べる。これを大島氏は次のように書いている。
それは言葉の上での形式ではなく、道すがら雪景色の美しさに心打たれてこその挨拶である。思えば風雅の道で、雪景色は月や花に劣らぬ美しさ、潔さといえよう。
向切逆勝手の小間、冬日に寒中の炭手前は風情も一入、軒端の雪のさざめき、炉中の下火のほてり、黒き炭に枝炭の白・・・客は炉辺に寄って暖を取り、「飯後の茶」故にいち早く湯相を整えんとする亭主の思い入れを感じ取る。色鮮やかな交趾の香合が炭の留め。拝見の後には、主菓子「かつみ饅頭」の熱々が、こぼれうめを表す標有梅文(ひょうゆうばいもん)の耳付蒸し器で。
中立の間に、亭主は掛軸を外し席を掃き清め、花入にふくよかな紅椿、西王母を生けた。炉辺に水指、茶入が置かれると、席中には清めの香が漂う。銅鑼の音が響き、再び席入した連客には、鵬雲斎宗匠好み「青雲」で一碗を。古来、此の地は名水で名高く、よき水、よき茶、よき点前での濃茶は黒織部の歪んだ茶碗に点てられ、亭主の持つ柄杓から立ち上る湯気が点前座に広がり、客の心を粛然とさせる。
薄茶は母屋の「一井庵」に動座して差し上げる旨知らせ、一同露地の飛石を渡り席へ入る。一井庵の床には、玄々斎宗匠の詩文が掛かり、床柱に花の生けていない花入。亭主は花台に柳と蕗の薹を乗せ持ち出し、花所望となった。正客が花を生けると、手焙、煙草盆、干菓子が運ばれ、松蒔絵四方入盆に、菓子は淡々斎宗匠命銘の梅花紋落雁「山里」と有平笹巻。この銘は「鶯の声なかりせば雪きえぬ 山里いかで春を知らまし」の古歌による。赤楽の茶碗に点てられる熱い薄茶が、連客の気持ちをゆっくりと緩めていく。
後には「吸物・八寸」の儀を行い、お酒のもてなしで一会を締めくくる。これは、雪の中の家路も道中暖かくという亭主の心であり、この時期ならではの素材を郷土の美しい器で召し上がって頂きながら歓談に座が和むひと時である。
茶事という、食と茶で人をもてなす形には、様々なケースがある。基本の茶事七式を習得し、じっくりとかみ砕いた後は、お客様やその時の状況に合わせた、一期一会のオリジナル茶事を作り出してゆく必要がある。その為に茶事七式を修練し学んでいると言っても過言ではない。今年はそんなことを考えながら、たった一日、深々と降る雪を見つめていた。大島宗古氏に、会ってみたかったと惜しみながら・・・
令和8年2月26日 畑中香名子


