鵬雲斎千玄室大宗匠の御逝去に際し、謹んでお悔やみを申し上げます。これまでの多くのご恩に感謝を申し上げ、心より御冥福をお祈り致します。
胸が重いまま、京都へ弔問記帳に行かせて頂いた。毅然として佇むその箱を拝見しても、その中に鵬雲斎宗匠がおられるとは思えなかった。母の眼が潤む。全てがぼんやりとしか見えない。歳を重ねるほど、いるはずの人がいなくなることを、切実に感じ入る。登三子奥様、伊住宗匠、大宗匠を見つめられた坐忘斎御家元の、言葉で表せないお心を想うと、下を向いてしまった。
常は自然と湧き出てくる自分の思いを、またはお伝えしたい史実などを、拙い言葉でここに書かせて頂いている。今はこの気持ちを文字にすることが難しい。八月に入って、隙間の時間に読んでいた大宗匠の御本、御家元の御本から、いくつか取り上げてみようと思う。
鵬雲斎宗匠 「酒茶論」
「水ハ方円ノ器ニ従フ」といいますが、全く水の性を的確に表現した言葉です。器が円形であれば円形に、方形であれば方形に、与えらえた器の形にしたがって、何一つ文句もいわないのが水なのです。柔軟そのものです。人は、ときに水の融通性を「郷に入っては郷に従え」の処世訓のように、環境に感化する必要性になぞらえたりします。が、また「覆水盆ニ返ラズ」というように、一たび器から離れたが最後、もとの器に返ることができない水を見て、人間は、己の弱さに気がつくようです。水はそれほど強靭な性格をもっています。室町時代末に、織田信長の帰依を受けた禅僧で蘭叔という坊さんが美濃にいました。そして彼は有名な『酒茶論』を書き遺しています。酒と茶が、互いに自分の功徳をたたえてついにゆずらず、強情を張って口角あわをとばす激論が果てしなく続くのです。それぞれの功、禍、得、失、利、害を主張する話です。
もともとこの話のオリジナルは中国にありました。もう数十年前に東洋学者ペリオが、中国の敦煌で発見した古文献の中にある『茶酒論』というのがそれです。それには酒と茶が相変わらす激論していますが、彼らは側に水がいることを忘れていました。
「酒と茶のご両人、そんなにあわてて功を競ってはいけませんよ。酒には酒、茶には茶、それぞれの功用があることはわかっています。それについて自己主張するのもよろしいが、肝心なことを忘れてはいけません。あなたがた酒も茶も水がなかったらどうしますかね」と水がたしなめました。この水の一言が、はげしい酒茶論争に結末をつけたという筋書です。
水の偉大さ、論点の看却下、自己の傲慢への戒め、学びは深い。いつもこうして、宗匠から大切な事を教えて頂いた。
坐忘斎御家元 「心の面白さ」
心というものは、茶道具を入れておく桐箱と同じです。桐箱は湿気の調節をしてくれます。もし、頑丈だという理由で鉄で出来ているものだったとしたら、道具を密閉し、外気と遮断することになります。それは道具を物理的に守ることにはなるかもしれませんが、かえっていろいろな不都合を生じさせるでしょう。桐箱は、暑さ寒さ、乾燥や湿気の度合いにあわせて、自らが伸びたり縮んだり、湿度を含んだり吐き出したりして、道具を守ってくれているわけです。
人間も、ほんとうにそうでなければいけない。桐箱と同じで、その一日一日に合わせて膨れたり、縮こまったり・・・そうして、やりくりしていくのですよ。せっかく自由な柔らかい伸縮自在な心を持っているにもかかわらず、それを鉄の箱に押し込めてしまうようなことをしてはもったいない。茶の湯というのは、生活文化の中の一つですが、しっかり学べば、そういう心の自由さを得ることができる。心の自由さを取り戻すために茶の湯を学ぶと言っても、過言ではありません。
桐箱のような自由度のある心で、その日その時に合った空間を作り出す気遣いを、我々は茶の湯から学んでいる。いや、それを学ぶことが重要であると、御家元は教えて下さる。
今自分に言えることは、こうして茶の道を歩ませて頂けることの有難さと、鵬雲斎宗匠、坐忘斎御家元に対する感謝しかない。
令和7年8月28日 畑中香名子


