Posted by on 2016年03月22日 in 風の心

2ヶ月にわたって、大倉邦彦が創建した大倉山記念館の歴史や、そこでの出来事を書かせて頂いた。この建物には、時代の波が打ち寄せた様々な変遷があり、多くの人々の人生ドラマが展開され、その熱き思いが廻ったであろうと、吹き抜けのホールを見上げて思う。ここで最後に、図書館前にあった、彼の紹介ボードに示されていた言葉を紹介する。

随所に主と作る(ずいしょにしゅとなる)

『臨済録』

邦彦は「随所作主」という言葉を好んで揮毫した。彼はこの言葉を次のように説明する。「たとえ今どのような境遇にあっても、小知小欲の自我にとらわれることなく、自らの役割を果たして生きていく、融通無碍自在の境地である」と。そして、「現実刻々の生活が、そのまま信仰の道場」とし、真の修業とは、世間から離れて、山奥などで何か特別な行に励むことではなく、世間という道場で、仕事や日常生活の中で、自らの心を磨き、誠心誠意事に当たっていくことであると考えていた。その実行こそが悟りへの道であると、思っていたのである。

宇宙心

邦彦は、この宇宙の全ての存在を生かしめている神のような存在を「宇宙心」と呼び、自らの思想の中心に据えた。この大いなる宇宙心は同時に、私達一人一人の心にも内在し、これを「仏性」「真如」「神性」「内在宇宙心」とも言う。私達はこの大いなる宇宙心に生かされていることに感謝し、「今」というかけがえのない時間を誠実に生きる事で、自らの心に内在する「宇宙心」が発露してくると説いた。

これらの言葉は、この度のハワイにおける千玄室大宗匠布教六十五周年記念行事の際に、何度も私の脳裏をよぎっていた。不平不満を抱く前に、自分に与えられている環境での役割を果たして、現実の生活の中で、常にこの生きている瞬間を誠心誠意取り組み誠実に生き抜く、そんな時間の積み重ねで時が重なってゆく人生。常に生かされていることへの感謝を忘れず、利己でない利他の精神で人と接すること・・・。

 セント・アンドリュー大聖堂では、平和祈念献茶式が行われた。美しいステンドグラスを通して光が差し込む教会の神聖な空気の中、祭壇の前に置かれた点茶盤の上には、白木地の盆に、二つの白木地の大きな棗型茶器。それぞれの甲には独楽紋(濃茶)と渦紋(薄茶)であろうか、焼き印が見える。白の仕覆の紐はそれぞれ紫と朱色、それだけが色として存在している。聖歌を歌う美しい声が天までを包み、参加者の気持ちを厳粛に一つにした。木地と白の世界が、神のもとへ供えられる御茶を聖なる水として作り上げる。最後の大宗匠のスピーチでは、隣同士皆手をつないで、全員の心が優しく結びついた。世界各国異なる国籍の、茶の湯を愛好するたくさんの人々の心が。

また、ハワイ大学にて行われた和合の献茶・茶会・式典では、大宗匠が大徳寺での修業中、托鉢の際、香りだけを頂いて空腹を忍んだことや、生まれて初めて恵みというものを受けた経験を話された。また、初めて外国、ハワイへ来て、エレベーターで「プリーズ、アフターユー(どうぞ、私は貴方の後でいいですから)」と言われ、外国にも「お先に」につながる発想があることを知ったというエピソードを語られた。

それに対し、有吉元州知事は、「70周年はまた行われるでしょう。75周年も80周年も、その先もきっと続いてゆくでしょう。しかし皆同じく歳を取る。私は次の時、もうこの世にいないかもしれない。もしかしたらこの会場のどなたかも、いないかもしれない。だから二つだけ言います。一つは、大宗匠に見習うこと。もう一つは若者にこの素晴らしいお茶を広める事。一碗のお茶で人間世界の幸せを祈り、その種を撒くことで恩返しをする。それが今すべきことです。」とスピーチされた。

(この続きは次号にて)  平成28年3月9日  畑中香名子

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