2015年5月、表千家長生庵12代堀内宗完(宗心)宗匠が、96歳でご逝去された。そして2016年10月、裏千家日々庵2代鈴木宗幹先生が91歳で、12月にはノートルダム清心学園理事長渡辺和子氏が89歳でご逝去された。ここ2年続いて、私にとっては心の道しるべのような方々がこの世を去った。
堀内宗心宗匠を初めてお見掛けしたのは、大徳寺で行われたある追悼茶会であった。あれはお茶を始めてまだ10年くらいの頃であったろうか、確か母の代理で伺ったその茶席のお正客が宗匠だったのである。席に入る前に係りの方から、「正客は堀内宗匠ですよ。良かったですね。」と言われた。10人程度の少人数の席、うす暗い茶室に座り、静寂の空気の中で末座からゆっくりと目を向けていた。小柄で物静かな、まあるい印象を受けたことを覚えている。同席する資格もない、その事の大変光栄な価値すら理解できていない若輩の目に移ったそのお姿は、白黒写真として今でもはっきり脳裏に焼き付いている。
次にお目にかかったのは、2013年4月20日、建仁寺四つ頭の茶会(開山降誕会)で、宗匠は霊洞院副席担当であった。当時94歳。席は静かに進行し、拝見まで全て終わって退出するその時に、宗匠は出入り口に正座して、一人一人のお客に対して礼をし、見送っておられた。手を揃え、頭を畳に付けるようにお辞儀をして、感謝なさっておられたのである。この頃はさすがに私も、どれだけ凄い方なのかを把握していたつもりであった。それが分かるが故、2度目の四つ頭よりも、むしろ宗匠の席へ伺いたい気持ちが優先した位である。しかし、凄い方という拙い私の予想をはるかに超えた有徳の人であり、偉大な茶人であった。
最後にお見掛けしたのは2年前位、新幹線京都駅の八条口へ降りてゆく広い階段だった。お供の男性が一人一緒であったが、宗匠はお荷物をご自分でお持ちになり、軽くしっかりとした足取りで階段を下りてみえた。黒いコートを着て一歩一歩着実に、穏やかな歩みを進めておられたのである。そこだけ誰も近寄れないような、不思議な空気に包まれていた。下から登って行った私は、この偶然にあっと思いながらも止まらず自然に階段を上がり、小柄なまあるい宗匠が、色深く大きく輝くように下りてこられる様子を感じていた。近づく、横に並ぶ、すれ違う、そのまま知らんふりで数段上がる・・・そして振り返り、そのお背中が見えなくなるまでお見送りをした。宗匠にお目にかかれた。その嬉しさがこみ上げた。
何時の事だったか、御家元へ伺う折に、八条口から着物を着た数人でタクシーに乗った。堀川寺之内へお願いし、小川通りの入り口で降りますと伝えた。運転手さんは我々が何千家かも気にせずに、「堀内さんって知ってはりますかあ?」と京都弁で尋ねてきた。「はい、お茶では有名な方ですね。」と答えた。すると運転手さんが言うのである。何度か偶然にタクシーに乗せてご自宅へお送りしたことがあるが、毎度奥様がお出迎えになっていて、車を下りるとタクシーの姿が見えなくなるまでお二人で見送ってくれるのだと。「ほんまもんのお茶人さんですかなあ。我々みたいなもんにまで、他の人と変わらず丁寧にしてくれはるんです。」
誰が誰に意図をもって、やったり言ったり聞いたりしているわけでもないのに、このご縁はいったい何だろうと思った。神様が私に、このような方を見習いなさい、このような方から学びなさいと、言ってくれているのだろうか。勿論、言葉を交わしたのはたった一回、茶席の退出時に「有難うございました。」と申し上げただけである。
私は宗匠のお茶に対するスタンスが好きだ。お茶といっても、それはあくまで素材であり、茶と言う素材を活かすのは、客にせよ主にせよ、要するに人間であるという考え方だ。これに関して宗匠はお茶の三原則を言う。
一、お茶の道具は茶碗でも茶入れでも一つで足りるものは一種にする。
二、お茶は人同士の社会の煮詰まったものだから礼儀を正しくする。
三、お茶に関わる者が自らを反省してあるべき姿を自ら築いていく。
言うは易し行うは難し、宗匠ご自身が見えない所でもこの三原則を実行していらしたから、今でもこの言葉は薄れることを知らない。一番基本になるとおっしゃる三について、「お茶で一番大切なのは自らのあるべき姿をきちっと決める事。他人の事はええんです。相手はどんな人であっても受け入れればええ訳で、自分がまずいかにあるべきかの反省が大切やということです。」と申される。新年を迎えた我々が、改めて考えるべきことなのかも知れない。
(この続きは次号にて…)
平成29年1月11日 畑中香名子


