Posted by on 2017年02月18日 in 風の心
平成29年3月号 風の心

(前号からの続き)

鈴木宗幹先生と、堀内宗匠のお話を良くしたものだった。私のような若輩は、家元水曜稽古でたまたま宗幹先生のお座りになる部屋に当たると、嬉しくなって大喜びで飛んでゆく調子。先生は稽古前に、その床の間を常にご自身で作り上げられた。お持ち下さった御軸を掛け、お花を活け、床の説明をして下さる。多くの先輩たちに紛れて、必死でそのお話を理解しようとした。本物を見て、自分でそれを感じながら、その組み立ての考え方や逸話を伺うことで、感覚的に育てられる。そんな時間を作って下さったのが、宗幹先生だった。

 ある時、先生は皆様に、湿し灰を撒く目的は何かと訊ねられた。どの方も遠慮してか、あまりお答えにならない。引き続き先生は、堀内宗匠の御著書に良いものがあるとお話をされた。書名が思い出せないとおっしゃったので、たまたま客座にいて先生に近かった私が、その書名をお伝えした。こんな些細な事から、先生とは書籍のお話をする機会が増えるようになった。「今度出版された谷端君の『公家茶道の研究』は読みましたか?」「井口宗匠の本にこんなものがありますね。」「今月の淡交のこの話についてどう思いましたか?」と、毎回そのペースについてゆくのも大変だったが、先生と本のお話ができるのは、私にとって有意義な、大切なひと時だった。

またある時は、先生と茶通箱の点前の事を議論した。ある部分の手の使い方について、表千家と裏千家との違いから、その成り立ちを質問させて頂いたことがあった。その場で色々なお話をして下さり、先生も楽しそうに考えておられた。数日後、車で田舎町を走っていると、私の携帯が鳴った。車を脇に止めて電話に出ると、なんと宗幹先生だった。びっくりした私に、「道場の職員の方に番号を聞いて、電話しました。」と丁寧におっしゃった後、「先だっての茶通箱のお話ですが・・・」とご説明が始まった。わざわざお電話頂いたことへの驚きと嬉しさと、更にお話の興味深さとで、しばらくその場から出発できなかったのを覚えている。

2月、逆勝手の稽古をする頃は、「台目切り逆勝手の初炭をしなさい。」とおっしゃる。詫びの時期には、大きな寒雲棚を出してきて、その点前をご指導頂くことも多かった。薄茶を替え茶碗で差し上げる時の茶碗の始末の仕方や、茶巾を途中で替える時の必ず守るべきマナー、半東の所作でしてはいけない事など、稽古場では教科書にないことをたくさんお教え頂いた。

稽古道具でも取り合わせが悪いと厳しく怒られる。全体の空間作りやその点前らしい道具組を考えなさいとおっしゃるのである。後ろで見学している時は、先生の指示で、取り換えるための道具を水屋へ取りに走ったことが何度もある。更に、気配を読むことや気遣い、気の利きかたについても指摘が多かった。そこまでを含めて茶席の空気を作るのだと、深いお話しをされた。先生ご自身が体感された、円能斎や淡々斎のなさったことやおっしゃった言葉、その教えを伺い、お父上宗保先生との触れ合いから学んだことをお話下さったのは、点前以上に我々を育てる基となった。

先生が、「畑中さん」と呼んでくださる時、私はいつも緊張と喜びで「はいっ」と答えた。先生の前では、さあ今日は何を聞かれるんだろうと、ドキドキしながら向かう自分がそこにいた。そんな先生はもう、そこにお座りになることはない。あの畳に正座した時、私は先生のお姿をそこに見ることが出来るだろうか、いや、出来なくてはいけないのだと、今痛感している。そのお茶を実践し、そのお考えを継承することが、先生へのささやかな御恩返しだと思うからである。   (この続きは次号にて)

平成29年2月5日  畑中香名子