久しぶりに、茶事をしている。こんなに有難いことがあるのだろうかと、そう感じる毎日に、心から感謝している。
それはまず、距離はあるものの目の前にお客様がいて下さること。お客様と共有する時間、共に楽しむ道具、味わって召し上がっていただく懐石、すべてがお客様のために・・・
次にそんな人間と人間のかかわりの中に、感じる心があること。交わす言葉、移ろう表情、時に笑みが、時に真剣なまなざしが、交差しながら織りなす空間・・・
そして茶事が終わった後に残る思い。今日という日があってよかった、皆様に会えてよかった、こんな学びがあってよかったと、そんな気持ちがこみ上げる・・・失敗もある。あれっ?と思ったときはもう遅い。あとはリカバリーする以外にない。しかしその取り戻し方がうまくいくと、それもまた嬉しい。流れの中で「あっ、そうか。ではこうするか。」と止めずに考えながら作れた時も、自然な喜びがわく。それが失敗を成功へと導いてくれるきっかけになる。
今回は、淡交テキスト八月号に、盂蘭盆会の茶事を載せていただいた。その道具で、実際に茶事を行っている。
待合に掛けた澤庵宗彭(たくあんそうほう)(一五七三~一六四五)の消息は、上洛前に立ち寄る旨伝える文である。その後お目にかかっていませんね。殊の外暑い日が続いています。しかし近々秋になります。老後余年と同じことですね。と始まっている。そして、和歌などと言うものでもありませんが、とことわって、
三界は火宅の中といひながら
それにもすぐるあつさなりけり
と詠んでいる。大徳寺一五三世に出世、しかし三日で退院し但馬宗鏡寺に隠棲、玉隠宗知の勅許をめぐり幕府によって出羽上山に流された。紫衣事件である。のちに赦され帰洛し、後水尾天皇や徳川家光の厚遇を受け、家光の命によって江戸品川東海寺を開山する。そんな厳しくも徳の深い人生を歩んだ高僧である澤庵が、「まことに暑い」と詠む。何と人間味のある言葉であろうか。やはり人である。人としてそう自然に発する姿が、なんとも言えなくすっと入ってくる。
後水尾天皇の父、後陽成天皇(一五七一~一六一七)の「南無阿弥陀仏」一行を、本席に掛けている。正親町天皇の東宮が薨去し、その遺子である和仁親王(後陽成天皇)が皇祖父である正親町天皇から譲位。そんな後陽成天皇は、豊臣政権の天下統一から江戸幕府成立の時代にまたがってその勤めを果たし、晩年後水尾天皇に譲位して四十七歳で崩御。秀吉が関白や太閤の位を得るために天皇を尊重、朝廷に重きを置いた世から、江戸幕府成立と共に武家社会拡大の中で宮中よりも幕府の勢力が増強していく、その異なる時代を生き抜いた。人生の前半を良き時とするならば、後半は辛く厳しい時代であったと思われる。その紆余曲折の流れの中で、神とあがめられる天皇が「南無阿弥陀仏」と筆を下ろす。その思いはいかばかりであったであろう。ここでも、人としての本当の言葉が書かれている。何がこの文字を選ばせたのか。どんな気持ちでそう願ったのか。一文字ずつじっくりと向き合ってみる。筆の入り、返し、払い、止め、そして墨の色。この和紙の上に置かれた筆と墨が織りなす独特の世界が、言葉の意味を更に強く深く示す。輝く菊の表具も、その言葉を見事に包み込んでいる。
消息も一行も、当時の「人」が書き記したものが掛軸となって、四百年以上の時を超えてこうして眼の前に迫ってくる。まるでその方がそこに座しているかのように思える。文字というものは、とても強烈な力、迫力を持っている。読み手はそこに少しの知識と、豊かな感受性や想像力とをもって、向き合わねばならない。それが本当の意味でその人と向き合うということではないだろうか。
そんなことを考えさせてくれる、茶事の毎日。茶事は、言の葉は、我々に多くを学ばせてくれる。
令和2年7月26日 畑中香名子


