その年の春、5月中旬に摘み取られた新しい茶は葉茶の状態で茶壷にたくわえられ、夏から秋を越えて冬になるとその口封を切り、壺から取り出される。その後石臼で挽かれて抹茶の粉になり、深い緑の美しさと心地よい香り、美味しい味によって茶人たちを魅了する。今年の新茶が使われ始めたことで茶の年度が改まるため、口切の頃が茶の世界の正月となる。したがって口切の茶事は厳粛且つ目出度い祝いの茶でもあり、露地の竹も青竹に変え、畳や障子、腰張りも張り替えて、食に新年を迎える節目の姿を表す。
時を重ねて、この頃は冬の到来と共に茶室における「炉開き」の時期にもあたる。寒さをしのぐ炉を開けて、新茶の封が切られ、新しい一年が始まる。「口切」という言葉が、物事の初めを意味するようになった所以である。この頃が茶人の正月であるということは、口切の茶事に参加して初めて体感できるような気がする。
文明のない時代、古人は敏感に時候を見つめ、膚で感じた鋭い感覚によってその時期を見極めた。そろそろ口を切ってもよいころではないか、もう壺の中の葉茶は程よい状態に熟成されているのではないか・・・科学的ではない人の感じた感覚で、判断を下すのである。
炉を開く時期についても、茶人たちは様々に表現している。
周知のように、利休は「柚子の色付くをみて炉を開く」としていたことが伝えられている。見とれるほどに野山を美しく色付けた紅や黄色の葉は、いつの間にか寂しくからからと木枯らしに舞い落ちる。冷たい風が吹き始める、乗り越えなくてはならない厳しい冬がやってくるときに、柚子の黄色が一層冴えて実っている様子は、単に柚子が黄色くなっただけを意識する現代の我々とは、異なる風情を感じるものだったのではないか。
三代元伯宗旦は、吐く息が白く見え始めると炉を開くことにしようと云ったという。今ほど暑さ寒さの調整がきかない、自然のままの温度を体感していた時代、人はどれほど辛かっただろう。冬の暖房器具は火鉢や手あぶり、囲炉裏であり、燃料は炭である。背中に冷たい空気を負いながら、吐く息の白さを見つめる時、何を思っていたのか。日々自然の移ろいを感じることで、道筋を決めた様子がわかる。
また、宗旦は炉を閉じて風炉に変える時期を、野山に霞のかかるころと表現した。古田織部は、「樅の木の芽吹くのをみて風炉にかえる」と云ったそうである。都会の街並みに暮らす者に、野山の霞を見ることは難しい。木々の芽吹きさえ危うい。時間に追われ、常々スマートフォンを見つめ、明治六年より新しい太陽暦で新暦を歩んでいる現代、自然との交流の中にその声を聞き姿を見て、生活にそれを活かすような瞬間があるのだろうか。せめて茶の湯の世界において、自然が語る今を汲み取り、時の節目に活かしてゆく努力をしなくてはならないように思う。
新茶をもって茶の湯の世界の正月を表す口切は、茶の正月を迎える心持を根本とする。だからこそ道具も、食事も、設えも、そして亭主方の心も、壺の口から落ちる緑の滝のような葉茶の美しさを新しきスタートの時として神聖に受け止め、心して向かい合いたい。そこに雄大な大自然を発見し、感じ、受け入れた、そんな茶事であるように・・・
令和2年11月24日 畑中香名子


