以前パラパラと本をめくっていた時、大宗匠の文章の中に、唐代の詩人李白の「山中問答」を読んだ。
余に問う何の意ぞ碧山に棲(す)むと
笑って答えず心自から閑なり
桃花流水杳然(ようぜん)として去る
別に天地の人間(じんかん)に非ざる有り
どうしてこのような碧く深い山中に住んでいるのかと、俗人が私に尋ねた。私は微笑して答えることをせず、心はいよいよ清閑となる。桃の花がほころぶ頃、水も温む春が来る。花びらを浮かべた春水は奥深い谷間から出て流れ行く。そこには俗人の分からぬ人里離れた自然の世界、ありのままの世界がある。
五月の詩吟教室の吟題は、杜甫の「絶句」である。
江碧にして鳥逾(いよいよ)白く
山青おして花然(も)えんと欲す
今春看(みすみす)又過ぐ
何れの日か是れ帰年ならん
錦江という大きな川に、深い碧色の水の上でいっそう白く映る鳥が飛ぶ。新緑の山に、今にも赤々と燃えるように美しく花々が咲き誇る。目の前に見ていながらどうすることもできずに、今又この春が過ぎてゆく。いつになったら長安の都に帰ることができるのだろうか。
同じ自然を詠んでも、このように全く異なる。これらの詩を読みながら、遠い昔学校で、二人の比較をしたことを思い出していた。唐詩を代表する四大詩人として、李白、杜甫、王維、白居易がいる。その中の李白と杜甫はともに優れた詩人であったが、非常に対照的な存在で有名である。
李白は物事にこだわらず、自然と酒を愛した。作風は自由奔放、天才肌で才気が横溢し、清逸・高妙と評される。ロマン性に富み、表現は明るく雄壮である。自然や友情、酒を歌う作品が多く、詩形としては絶句・楽府に長じた。唐代随一の詩人で「詩仙」と称された。
一方杜甫は社会や人生に正面から取り組む努力型であり、李白の「明」に対し、「暗」の趣がある。作風は、細かに人間の心理をうがったものが多く、表現は雄渾・沈痛である。社会の矛盾や人生の苦悩を歌う作品が多く、律詩・古詩に長じた。李白と並ぶ代表詩人として「詩聖」と称された。
このような違いは、二人の人生の違いからくるものとも思われる。先の李白は青年期に諸国を歴遊し、四二歳で玄宗皇帝に仕え、詔勅を作る役人として宮廷生活を送ったが、その後追放放浪の身となる。豪放磊落・任侠を好み、酒を愛した。杜甫は名門の出ではあるが、三〇歳までは放浪生活、進士の試験に落ち長安で李白と交友を結んだ。後に四〇歳でやっと官途に就くも、安禄山の乱によって家族と長江を下る長い漂泊の旅、苦難の生活を送り、ひたすら乱世を憂い不正への憤りを持ちつつ舟中で亡くなる。江戸時代の俳人松尾芭蕉は杜甫に傾倒し、「夏草や兵どもが夢のあと」など、杜甫の詩を踏まえたものがたくさんある。
詩も、作者の人生や考え方など、その背景を理解して読むと、改めて見えてくるものや感じることがあるのではないだろうか。
平成26年4月19日 畑中 香名子


