4月、春の夕去り茶事をさせて頂いた。先輩である多くの皆様と共に、深い時間を過ごし、自分自身の心にも多くの変化と学びがあった。19日は大宗匠様の91歳のお誕生日だった。昨年は90歳の御年祝いに、多くの同門社中や関係者皆様がその嬉しい喜ばしいお気持ちで、盛んに祝福なさっておられた。そんなことを思い出していた時に、ふと思った。更なる一年の積み重ねを無事終えられた本年4月は、昨年以上におめでたいのではないだろうかと。来年の4月はまた更に更におめでたいのではないかと。
そのうちに桜が散っていった。そこでまた考えていた。私たちが美しいと毎年愛でる桜を、戦争を体験された方、特に「桜花」という名の、戻らぬ飛行機に乗る環境にあった特別攻撃隊の方々やそのご家族は、どのような思いでご覧になっておられるのであろうか。
この時にすーっと茶事の組み立てが決まった。夕去りの初座を飾る花は山桜、飛行機の上からも見える桜である。後座は大好きな益田鈍翁晩年の筆「万歳万歳万々歳」でお祝いを、そして濃茶は茶通箱で二服。代々を守り抜く、大宗匠様好みのお茶と、お家元様好みのお茶である。夕去りで茶通箱となれば、寄付で薄茶待ちのほうが時間的にも薄茶をじっくり差し上げられるだけではなく、濃茶で終わるという引き締まった感じを作ることができる。後は細々した点を整えるのみだった。
薄茶待ちの寄付は宗興若宗匠時代の瓢の画賛「楽在此中」を掛け、炉塞ぎの名残には長板の上に小ぶりの風炉釜と地球儀の水指を。何百年も異なる道具同士が、不思議と調和の音を奏でる。棗は八代宗哲の徳風棗、茶杓は友垣、風炉先は淡々斎の船出画賛「水長舟高」。戦争から無事戻られた大宗匠様が世界へ旅立つとき、父であられる淡々斎のお心はいかにと思いながら、この風炉先を置いた。また一粒万倍の言葉通りに世界中に友垣が広まった茶の湯、この膨大なご苦労の積み重ねを考えるとき、楽しみは此の中に在りと描かれた瓢の絵に胸を押される瞬間もあった。本席初座に入って床は山桜。急に大変なお願いをして用意して頂いた硬い蕾を、お風呂場で咲かせた。炭点前、手作りのお香には、自然と「大和」という銘が浮かんだ。その古い歴史を持つ練香の香りを聞きながら、フィリピンレイテ島玉砕で戦死した母方の祖父を思った。けれども、「敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花」様々に利用されたこの歌は、戦争を知らない私たちの世代にとって、本居宣長の心に近い印象でしかない。日本人として純粋に朝日に照り輝く山桜の麗しさを感じている。またそれが、時代によって悲しい解釈となる切なさも、何となく持ち合わせていたのかも知れない。懐石は春の終わりの旬、そしてこの時期の美味しさをもう一度思い出して頂けるように、また祝いの席としてめでたい献立を相談した。菓子は毎度我がままを聞いて頂き、注文通りに届いた「行く春」。水面に散る薄い花びら、中の餡は桜の葉の緑にして頂いた。後座は台目運び茶通箱でお家元様へと続く。戦中でも稽古を休まなかった千家家元の茶桶箱、お二人それぞれのお好み茶を収めた。2年後には還暦を迎えられるお家元様、どのような思いでこの時代を背負われておられるのであろうかと、我々には想像もつかない世界のことを考えていた。
春の終わりの夕べ、蝋燭の明かりに包まれて、気持ちの良い風を受けながら茶事が終わった。このような機会を頂けたことに、深く深く感謝していた。
平成26年5月20日 畑中 香名子


