伊部の焼き物を後にして到着したのは、特別史跡旧閑谷学校。岡山藩主池田光政公により創設された日本最古の庶民の学校である。江戸時代前期に、藩士の為の教育施設、いわゆる藩校だけではなく、地方の指導者を育成するため、庶民の子弟にも学問する環境を整えた。岡山藩立のこの学校は広く門戸を開き、他藩の子弟も学ぶことが出来た。建築は二期に分けて行われ、実に32年を費やしている。岡山藩は学校領を設け、そこで学田や学林を運営させ、学校を財政的に藩より独立。もしも転封や改易により藩主が変わった場合でも、学校が存続するよう工夫した。このことから、岡山藩がいかにこの学校を重要視していたかが伺える。今日まで340年余りの歴史を持つこの建物は、講堂が国宝に指定、其の他24棟が国の重要文化財に指定されている。講堂の、光るように磨かれた美しい木の床と漆喰の壁が印象的だった。2本の巨大な楷の木は、今年の夏の暑さや長年のお勤めで、だいぶ弱っていた。
この夜は瀬戸内海を一望する、きらら祥吉に宿泊。夕日の光を誘い込み、海の潮風を感じる温泉でゆっくり過ごした。美味しい地元の食材を使った夕食の宴会、明け方には海からの日の出を眺め、去り難い気持ちがこみあげた。それぞれの枕元に置かれた折り鶴とメッセージに、従業員の方々の優しい心遣いを感じるばかりだった。
翌朝一番で、桃井ミュージアムに伺った。大嶋黄谷(おおしまこうこく)によって作られた赤穂の雲火焼を、桃井香子様、長棟州彦様が復興し、この焼物は現在「兵庫県伝統的工芸品」に指定されている。桃井様が美術館を会館、そこに様々な作品や資料、美術品を展示して雲火焼の知名度を上げ、その研究と拡大にご尽力されておられる。ここでは藪ノ内流の立礼席でお茶を頂いた。床間にかかったのは、四十七士の一人が小さな懐紙に書いた母親宛ての手紙。ご亭主桃井様のお優しいお人柄に包まれて、点前座に用意された美しいお道具や、このミュージアム特製のおしゃれなお菓子の美味しさを味わいながら、赤穂らしい数々のお茶碗とそのいわれを伺い、全てに最高のおもてなしを尽くして頂いていることを感じていた。長棟様にも、美術館所蔵品や雲火焼作品について細かくご説明をして頂き、大変勉強になった。ご多忙中事前準備から度々に連絡を取って頂き、美しい海を眺めながら御心尽くしの一服を賜り、素晴らしい美術館の見学ご説明や買い物と、特別なご配慮に感謝するばかりである。会員の皆様一同、大変大変喜んでおられた。
名残惜しい気持ちでミュージアムを出ると、次に向かったのは田淵記念館。江戸初期より赤穂で塩田を営み、文化・文政期には日本最大の塩田地主であった田淵家の歴代当主は、謡や和歌、蹴鞠などの芸能をたしなんだ。特に茶の湯の好みは深く、訪れた赤穂藩主に食事や茶などで手厚いもてなしをしていた。平成6年、この田淵家より古文書類、茶道具、日本画、書、婚礼道具、蹴鞠道具など、多岐にわたるものが赤穂市に寄贈され、平成9年に記念館が開館。五代目政武は京都久田宗参に師事して茶席春陰斎及び露地を造り、庭園や屋敷は当代一流の造営がされ、今日までその姿を留めているとして平成18年には国の名勝に指定されている。ゆっくりとその美術品の数々を拝見し、栄えた田淵家に想いを馳せた。
お昼はかもめ屋食堂で。鉄板の中でジュージューと跳ねる秘伝のたれ、柔らかいお肉と巨大なエビ。和食が続いた後、ここでお肉を頂いて大成功。
ひとやすみして花岳寺へ。このお寺は浅野家の菩提寺として生保2年(1645)に創建され、浅野家、森家の歴代藩主他、四十七義士の墓碑がある。義士達が生きた当時を実感させる様々な所持品や使用品、手紙など多くの宝物を拝見し、各人が当時の人々の心に寄り添い、その墓碑に手を合わせた。何となく温もりを感じるような場所であった。
最後は大石神社へ行った方と、お土産のお菓子等買い物をされた方とに分かれた。神社には、芸大教授陣が拝見に来る、四十七義士それぞれを服装とポーズで絶妙に表した、今にも動き出しそうな素晴らしい木像が47体あった。塩饅頭など赤穂のお菓子を買うのも、楽しみの一つであった。
こうして岡山・兵庫をめぐり、その歴史に触れ、茶の湯とつながる精神や美術工芸、食等を学び、また随所で親切な人々と出会い言葉を交わして心の通じるのを感じ、充実した時間となった。次回も皆様とこの思いを共有できるよう、楽しい旅を考えたいと思っている。
平成27年12月16日 畑中香名子


