Posted by on 2016年06月20日 in 風の心

朝茶事を行っている。前回3年前に行った時は3月に計画し、早朝6時に汲み出しをお出ししても、冷房が必要なくらい暑かったのを覚えている。その時、次回は5月に行わないと、朝の涼しさは味わえないと思っていた。そういうわけで、今回は5月にお客様をお呼びすることになった。

朝3時に起床。支度をして、4時過ぎには茶室へ向かう。荷物を持って約5分程、アスファルトの上を歩く。振り返ると空がピンク色に染まり、わずかな雲がその光の影を作っていた。とても美しい朝焼けの色だ。
茶室に着くと、先ず路地を歩く。お客様になった気分で歩いてみる。美しい新緑を見上げ、その下を進みながら、空気がしっとりと肌に乗ってくるのを感じる。どうやら木々の葉は体に当たらずに、足元も滑ることなくいけそうだ。
畳を拭く。何度か繰り返し拭いてゆく。気持ちよく、今日の畳目がくっきり見えるような気がするのは、これから始まる出来事への期待感からか、一目一目を綺麗にしてゆく。炭斗に炭を組み、水指に水を入れ、諸道具を清めて使える状態にする。今回は風炉でお粥を炊くため、風炉を温める目的で炭を入れる。真っ暗な茶室の中に、小さな火が灯る。大きな存在感のある、美しい火の姿である。

タイムゲームが始まる。これが何となくスポーツの試合と同じで、頭が回り出す。もともと人見知りでコミュニケイションが苦手な私は、運動選手時代も、こうして自分を追い込んで変えてきた。
席入りを逆算して下火を点ける。立ち消えしない程度に、全体によく火を回し、熱くなっている風炉に入れる。迎え付けに出る。蹲の水を撒くと、小さな石の太鼓橋が気持ちよく濡れる。生き物が驚いて逃げ出してゆく。お客様が此方へ向かって来る気配を感じながら進む。無言の一礼。お越しくださった皆様への気持ちがこみ上げる。茶室へ戻る道に見る、2月に美しい花を咲かせたしだれ梅は、今、緑の葉を爽やかに揺らして屋根を広げている。この下を皆様が通られる。その日のお客様によって、席に入られる時間は異なる。路地の長さ、時間帯によっても変わる歩きやすさ、蹲の使い方など、小さな違いが変えるのである。それに合わせて茶室内の火を点ける。手燭が御軸を静かに照らし、燭台は風炉・釜の影を風炉先に映す。金銀市松のその風炉先は後座で姿を変え、お客様を濃茶の世界へ誘うであろうと考えながら、そっと襖を閉め水屋へ下がる。

今回の茶事の手順は、様々な要因によって変化する。風炉・釜の形状や灰型も特殊な為、風炉の温め方のせいか、その日によって炭手前で置いた炭の熾り方が異なる。毎回それに合わせて、湯が湧いた時に洗い米を入れなくてはならない。これは先に出すお向や煮物椀の様子で上手くコントロールする。他にも、その日の天気で明るさが違えば、蝋燭の本数で調節。温度も考え、風を入れるタイミングを見計らう。

後座、薄暗い茶室にぼんやりと白い花が浮かび上がる。花入は円能斎の朝日の松。黒い竹の丸窓を選んだのは、暗い中花の映える状況を予測しての事。それにしては活ける自分の腕がない。霧を吹く。葉や花びらに乗った水の滴りに光が差し、眩しく輝きを放つ。お粥を炊く為、炭手前の際に香を省略し後座で茶室に焚き染めた。網の障子に変えた事で風の流れが変わる。事前に香炉をよく温め、いつ炭団を入れるか、香の焚き方、置く場所によっても香り方が変化する。
足袋が畳に擦れる音が響く。柄杓を構えると背筋が伸び、一瞬外の水の音が止まるような緊張感が走る。総礼・・・無心になる。茶室には、柄杓から落ちる湯の音、茶筅の擦れる音が響く。練りあがった茶碗を出して離す手は、愛しい人から離れる時のようにと、遠い昔学んだ事が頭をよぎる。

これが文明の無い時代の人間の力、人間と人間との気遣い、心のつながり、思考のぶつけ合いだった。人の感性が生み出す、シルクの目を通り抜けてきたような、細やかで優しく温かい光の束のような、人の力なのである。茶の湯の意義は深い。

平成28年6月1日 畑中香名子