Posted by on 2016年12月17日 in 風の心
平成29年1月号 風の心

「終わりなんて無いのよ。」母が言った。我らが恐るべきゴットマザーの一言だった。

私が書かせて頂いている『待光庵たより』の文面を、彼女は気が向いた時にしか読まない。先月発行済みのたよりも、案の定読んでいなかった。仕事をどのように終え、或は変え、或は続けて、今からの人生をどんな風に生きるかについて拙文を記したことを口頭で説明すると、開口一番先のように言ったのである。
終わりなんて無い・・・それぞれの区切りで変化はしても、その時その時に応じて次の目標が生まれ、再びその目標に向かって生きるのみ。これは死ぬまで続くのだと、だから終わりなんて無いのだと、彼女は言うのである。
強く生きてきた彼女らしい言葉だった。強く生きざるを得なかったという方が正しいかも知れない。体が弱かった父の分まで、家族の為に努力し続けてきた姿を思うと、納得である。
そんな彼女を見て、「爽やかに年を取られた方だ。」と言って下さった方がある。強さの積み重ねが年齢と共に丸くなって爽やかさになるとすれば、そんな風に年を取りたいものだ。

先日ある方が、「思い出せない、動けない、出来ていたことが出来なくなる。それが悔しくて情けない。」とおっしゃった。悔しい、情けない、そうだと思う。
私が日本リーグでバスケットボールをしていた頃、車椅子バスケットの選手から、ファンレターをもらったことがある。代々木体育館での試合の後だった。当時は手紙を頂いて嬉しいと感じただけで、自分の立場からしかものを考えなかった。今思い起こすと、彼の人生は途中から車椅子の生活となったこと、その生活の中で悔しさや情けなさをプレイにぶつけて成果を上げ生きがいにしていたことなどを、考えることが出来る。それだけ時を生き、経験をして、知る事や感じる事が増えたからかも知れない。これを「年を取った」というのだろう。出来なくなって生まれる悔しく情けない気持を、年齢なりに無理のない次の何かにつなげることは難しいだろうか。出来なくなることの引き換えに、わかるようになることも増えている。人間として大人になったと自信を持って、悔しさ情けなさを次への糧に出来るのではないだろうか。

稽古場で、耳が遠くなったから、皆さんにご迷惑をかけるのが申し訳ないとおっしゃる方がおられた。暫くして、その聞こえないことによるご本人のお悩みは、少しずつ増えてきた。手元に目線が行く点前中は、注意が聞こえない場合そのまま行ってしまう。目を合わせている時でも、聞こえていないと通じていない。本人は何となく流すしかなく、話が見えない表情になってうつむき、口数が減り活気がない。
そうか、それではこちらに気を向かせればよいと思い立ち、出来るだけそばに行って、大きな声でいつも話しかけて、意見を伺ったり冗談を言ったりしながら、話に巻き込むようにしている。みんなと一緒に参加している気持ちにさせてあげたいと思うようになった。聞こえている時はそんなことを考えなくとも、当たり前に一緒に参加して、自然の安心感がはたらいている。不安になって初めて、それが安心感に包まれていたものだったと知るのである。彼女は少しずつ聞こえない自分を受け入れ始め、笑顔を取り戻し、なんら変わらず仲間でいる事を感じてくれていると、私はそう信じている。

最近「人は支え合って生きるものですよね。」と教えて下さった方がいる。胸を打つ言葉だった。支え合う為には、しっかりした自分が、相手の気持ちを理解出来ないといけない。自分自身は前向きに生きる努力をし、自分だけではなく自然に他の人の事を考える余裕を持つ。私の周りの先輩たちは、いつもこんな風に大切なことを教えてくれるのである。

平成28年12月15日  畑中香名子