Posted by on 2017年08月11日 in 風の心
平成29年9月号 風の心

裏千家には、坐忘斎お家元のお好みで、和親棚という立礼棚がある。正面中央の一番大きな点前座の他、左右に大小の台があり、この三つの台は入れ子のように一つになって収納される。したがって使わないときは部屋の隅に置いて、花を活けたり飾り物を置く台にすることが出来る。使用するときには、この入れ子を解いて広げ、自由に道具や点前を工夫して、お客様に一服のお茶を差し上げることが出来るのである。机の形は丸、三角、四角と3種類、色も2色あり、好みに合わせて選べる。最近この棚がいかに偉大な棚かを、特に痛感している。

玄々斎は、多くの批判を顧みず、初めて畳の上に點茶盤(机と椅子を使用してお茶を点てる立礼式の棚)を置かれた。幕府末期の混乱の時代を迎える頃には、既に構想が出来上がっていたと拝察している。それは、稽古に行かれていた九州長崎で既に机と椅子の世界を目にしていたとも考えられるし、海外の情報が京都にどのくらいの速さで入って来ていたかを、例えば若冲の知識を持ってしても理解することが出来るし、この時代の玄々斎の交友を見ても、或はそのお人柄を考えても、先見の発想が起こらないわけがないのではないかと、思っているからである。
畳に机と椅子を置くとは何事か、との批判は十分に考えていたはずである。今でいう伝統文化の世界の人々(勿論それは当時、彼らがそうは思っていない、文化というより生活の中の重要な伝承者だと考えていたに違いない人々)が、黙っているわけがないことは周知のことだったと思う。まさに政治でも外交でも、文明を開化と捉えるか、異物と捉えるかが分かれていた時代である。
しかし結果は、玄々斎がいち早く世の中の変化を見越して実行し、荒波に耐えうるだけの基盤と知識、精神的気力と人の繋がりを持って、立礼式というその形態を確立した。この立礼式は、明治初期の博覧会や来日外交官へのもてなしに始まり、開国日本の民族・文化紹介に大いに役立ち、ご存じのように西洋化した今日の日本では、茶の湯各流派が様々なデザインで立礼棚を作り使用している。更に、正座して座れなくなりつつある日本人の生活の中で、立礼式がこれからどれだけの使命を持って活躍するようになるか、重要性を考えずにはいられない。

その様な時代の流れの中で生まれた和親棚は、今までに無い特別な特徴を二つ持っている。これによって、もてなしは飛躍的に幅広く自由に、お茶らしくなったのではないかと、私は感じている。そして、今後の世界や日本の茶の湯を考える時、こんなに使いやすい棚はそうないのではないかと、この棚を使いこなすことを楽しんでいる。
特徴の一つ目は、三つの重要な台の部分をバラバラに位置することが出来るということだ。点前座を自由に変化させ、形をコントロールできる棚は、これまでには無い。コンパクトな収納を可能にするために、この様な形に生まれたのかもしれないが、立礼点前を考える上では非常に大きなポイントとなる。なぜなら、和室の畳が敷かれている部屋は、基本的に四角い部屋であり、規格に沿って寸法が決まり、床の間や柱の位置が設定されている。しかし、洋間となると、百あれば百異なる部屋、空間がそこにある。大きさも、形も、雰囲気も、世界中に異なる国があるように、違っているのである。そこで茶の湯を行う時には、和親棚のように人の大きさや服装、部屋の雰囲気や趣向、目的に合わせて、台の配置を変えられることが自由度をグンと上げる。その空間でするお茶に合わせて、棚が変化してくれることによって、バランスの良い点前座が出来上がることになる。

特徴の二つ目は・・・  この続きは次号にて。

平成29年8月9日 畑中香名子