Posted by on 2019年09月21日 in 風の心
令和元年10月号 風の心

前の日は少し雨も降っていたのに、その日は青空が広がっていた。午前六時半に相模大野を出て、東京道場へ車で向かう。一時間ほど走って都内へ入る頃にはすっかり日が昇り、晴天。
「やっぱり大宗匠の日は、晴れるね。」後部座席で母が言う。
「そうだね。」三人でうなずく。
助手席で、私は思わずこの広く美しい空を写真に収める。都内を抜けて更に一時間後、予定通り八時半に到着。大宗匠席主の好日会である。
母はともかく、そのような茶席に入れて頂くなど、若輩者の我々若手三人にはまだまだ分不相応な事。しかし、このような機会を賜り、二度と出来ない学びを頂いた。

寄付に飾られた箱を拝見する。今から四百五十年前の、いやそれ以前の中興名物もある。黒の茶碗には初祖の漆の判があるのか。墨とは凄いもので、みな当時のまま本物の重みと輝きを放ち、その箱の蓋に様々なことが記されている。会記は濃茶席のみ張り出され、日ごろ手元に配られている濃茶、薄茶の道具を載せた印刷物は配られない。
ご案内があり本席へ席入する。お菓子を頂いた後、伊住公一朗様がお点前に入られた。掌で茶入の仕覆を広げる瞬間にその温かいお人柄を感じ、修行を積まれた力強さの中に優しい繊細さが現れる。その方の点前の空気とはこんな風に醸し出されるのかと、見入ってしまう。あれが先程の茶入、あれが先程の茶杓、そして茶碗。脳裏に箱書きが蘇る中、全てお使いになっていることを理解する。美味しい濃茶が点てられ、点前も後半となり拝見物が出される頃には、大宗匠もお出ましになった。
「手に取りなさい、これが本当のお茶ですよ。」そうおっしゃって、遠慮する客一同を促す。
茶碗は全員の手へ拝見に回る。美術館ではガラスの向こう、触れることはまず限られた少ない方々のみというものが、人々の心に渡っている。茶入、茶杓、仕覆は拝見座へ出され、触ってみるようにと。

本歌を一切飾らずに使って茶を点てる。拝見道具はお客様の手に届ける。会記はなし。ここに茶道の真の姿を学ぶ。
使う、触る、そして感じて頂く・・・これが本当のお茶だと・・・私が育てて頂いたお茶の世界と同じ、母が言うのと同じ・・・その考え方に嬉しさがこみ上げる。

侘び宗旦の御筆に刺繍の表具が、目に焼きつく。しかし普段ならもっと道具に集中できるはずが、今回はそこまで出来なかった。懐かしい往年の、お茶を築いてこられた先輩方が周りにたくさんおられ、我々を育てて下さったその素晴らしい大先輩方の挙措を伺い、動くので精一杯。それが今の自分の力量。こんなおよばれは二度とない。こんな素晴らしい道具を使用した茶席で、道具を手に取れる事は二度とない。と、わかっていても、それより人が優先だった。

感動の後、神楽坂であんみつを頂いて会社へ戻り、夜は稽古をしながら考えた。
御高齢、それでも尚ひたすらに前進される大宗匠、久しぶりにお目にかかる関東を築いた先輩方、育ての親である亡くなった先生方、遠く異国で頑張っているお弟子さん達、勿論今側にいてくれるお弟子さん達や会社のスタッフ、そして家族…皆様がこうしていて下さるから、今お茶が出来るのだと、思う。そして茶道の真の姿を、ぶれずに実行してゆくことを、胸に誓う。皆様への感謝を忘れずに・・・。

令和元年9月17日 畑中香名子