Posted by on 2020年05月26日 in 風の心
令和2年6月号 風の心

木々の緑は日に日に色濃く染まり、季節は、時は、止まることなく刻々と流れている。桜は散り、葉が青々と輝いている。芍薬や牡丹が咲き、その香りを漂わせる。植物はいつもの通り、本当にいつもの通り自然にまかせて、変化し続けている。
人の活動は、この数カ月、ほぼ全てにわたり停止している。経営に支障をきたして逆に忙しい会社などを除いては、ほとんどの場合、自粛、在宅を余儀なくされて、行動範囲を制限されてきた。自分なりに時間の過ごし方を模索する毎日が続く。
移り変わっていく植物は普段と変わらないもの、静止している我々がおろおろと普段とは変わったもの・・・大自然の雄大で懐の広い、その堂々たる落ち着きと冷静な姿に比べて、人間の何と小さくもろいことか。
それでも人は感じ、考え、解決しようとする思考をもっている。自然から学び、成長し、進化する力を発揮することができる。今回の地球規模で起こっている感染は、そのような人間力を試されている。よい面も悪い面も世界各国の本当の力、人間の本当の姿を浮き彫りにする、という側面をも持ち合わせているように思う。

お家元のビデオ・メッセージ、そのお言葉が胸に染み入る。淡交タイムスに載っているパスワードを入力して拝見するものの、もしかすると細かい操作に慣れない世代の方もおられるかと考え、多くの方に知っていただきたいという思いで、拙いながらここに少しだけご講話の趣旨をまとめてみる。
連休明けの回では、淡々斎宗匠のお軸が掛けられていた。
「安分以養福」 分を安んずる(やすんずる)ことで福を養う。望むものが安易に手に入っていたこれまでに対し、今この状況の中でこそ、もう一度分を安んずることで本当の福が養えるという発想をもとうとおっしゃる。何が真の福なのか、分を安んずることでそこへ到達できるのではないかと、改めて思わせていただいた。

次の回は、円能斎宗匠のお軸。短いけれど、しなやかで美しい筆の流れに目を奪われる。
「心是茶」 一日一日を大切にする、日々是好日にすることが一期一会である。心とはつかみどころのないもの、コントロールできないもの、それが茶・・・とはどういうことか?自分の心のありさまが点てる一碗に現れてしまう、ということではないか。その時の自分の心の在り方によって、点てるお茶や一期一会の雰囲気が大きく変わる。点前手続きがどうかではなく、主客に交わされる心のやり取りが、心のコントロールのできる状態でなされてこそ茶の湯は味わいを増す。茶の湯を生かすも殺すもあなたの心次第だよ、心ひとつでお茶は良くも悪くもなる。心のコントロールを、その手綱をもって修行しなくてはいけない。ストレスを持ったままでは美味しいお茶は点てられない、飲んでもおいしく感じられない。自分で自分のためにお茶を点てて試してみよう。今だからでしかできないことをやってみましょう。

さらに次の回は、坐忘斎お家元のお軸であった。
「在眼前」自粛イコール用心すること。何のために用心していますか?安心するためです。恐れるのではなく前向きに捉えましょう。積み上げてきた貴重な準備によって開催できる寸前に、残念ながら青年部全国大会は中止です。若い世代であるからこそデジタルになりがちであるものの、デジタルとアナログは全く無縁ではなく、デジタルの生みの親がアナログです。今、デジタル時代によってアナログを鍛えていくことが求められる。ひたすら便利さを求めるのではなく、デジタル化できないものにも目を向けて、茶の湯の世界において双方が同居できるような形にして行けることが大切。ここまで作り上げた青年部の素晴らしい力は変わらない、それをこれからに生かしていこう。アナログとはある意味「情熱」、デジタルとは「技術」。一歩ずつを飛ばして何事も成せない。求めるものは眼の前に在り手の届くところにある。結論を決めてからそこへ向かう、結論に対してよそから手法を借りる、簡単にそこにたどり着けるような手抜き、楽をしようと思えばいくらでもできる今日。だからこそ、一歩一歩前へ進む気持ちで筆をおろさせていただいている。今日できることをする。

不十分なまとめで恐縮ではあるものの、「この時間が無意味にならないように生きる」という考え方の大切なメッセージを、少しでも多くの茶道人で共有できればと願っている。

令和2年5月20日 畑中香名子