先月に続き国旗「日の丸」について、境野先生の御著書を参考に振り返ってみる。
安政七年(1860)、遣米使節団と共に、日の丸はアメリカ大陸へと渡る。正使である新見正興ら80名は、アメリカの軍艦ポーハタン号に乗った。その護衛という名目で並行した日本初の蒸気船、軍艦「咸臨丸」は、船のマストに日の丸を高く掲げ、勝海舟指揮の下、90名と共にサンフランシスコへ到着。この太平洋横断に、三十数日かかっている。
勝海舟は、サンフランシスコの港に入る前、国際的礼儀に従って咸臨丸に大きなアメリカの国旗を掲げ、礼砲を響かせた。すると港に停泊していた多くのアメリカ船のマストには、次々に日の丸が上がり、歓迎の祝砲が放たれた。自国日本の船を初めてアメリカに渡航させた男たちは、その甲板に整列し、サンフランシスコの港にたなびくたくさんの日の丸を見て、涙を流した。
平和友好の任を果たした咸臨丸は、そのままパナマを廻り、一路ニューヨークへ。上陸した勝海舟たちが見たのは、使節を乗せるアメリカの四輪馬車の四方にはためく日の丸。ホテルの屋根、立ち並ぶ店の店頭にも、ずらりと日の丸が飾ってあるのを見て、胸を熱くした。さらに、街頭に立ち並んでいたアメリカの子供たちが手に手に日の丸の旗を持って、大波のように打ち振って歓迎してくれたことに感激が絶えなかったという。
アメリカで友好を結んだ使節団は、文久元年(1861)、イギリス、オランダ、ロシア、フランスにも渡る。シンプルな日の丸の旗はヨーロッパ各国で大いに好感を持たれ、大歓迎された。
オランダのロッテルダムでは、船から上陸すると長く敷かれた赤いじゅうたんの両脇に日の丸が掲げられていたことも、日記に書かれている。市内に入ると、オランダの国旗、ロッテルダムの市旗、そして日の丸の順で、町の中央通りに美しく日の丸が連なり、一行の胸を躍らせた。
日の丸は、江戸末期より世界に翻って、たくさんの国との親和や和陸のために、平和の使徒として大活躍した。
国旗とは、国家を象徴する大切なシンボルである。オリンピックやワールドカップという国際大会では、その大会に参加するすべての国の国旗が掲揚される。ことに国歌を斉唱する時に登ってゆく、その国旗を見つめる時の選手の面持ちからは、なんとも言えない思いが伝わってくる。長い危険な旅の末、到着した異国の港で、あるいはその土地で、歓迎と共に振られる国旗を見た時の使節団も、熱い思いが込み上げたことだろう。
たった二色の四角に丸だけの日の丸、この誇り高き太陽の印は今日もなお世界中へ響いている。そして我々日本人の心の中に、その歴史と共に深く刻まれていなくてはならない。
令和2年9月30日 畑名香名子


