Posted by on 2021年08月31日 in 風の心
令和3年9月号 風の心

ふとしたきっかけで致知出版社・藤尾秀昭氏の本の中に、禅の高僧、松原泰道師の言葉を読んだ。

泰道師が頻繁に紹介されていた、アメリカの詩人ホイットマンの詩は、次のようなものである。

女あり
二人ゆ
若きはうるわし
老いたるはなおうるわし

最後の一行に、はっとさせられる。若い女性は美しく、老いたる女性はなお美しいと。

泰道師は、若い女性が美しいのは自然の美であり、「うるわし」に漢字をあてると「麗」が相応しいという。それに対して「老いたるはなおうるわし」の「うるわし」には、「美」の漢字が当たる。「麗」は生まれついてのすっきりした美しさ、「美」は丹誠によって生まれてくる美しさを示すそうである。

「生涯現役、臨終定年」を座右銘とされていた泰道師は、次のように説明する。

自己丹誠とは、自分という人間をまごころを込めて仕上げていくこと。空しく老いないためには自分自身への丹誠が欠かせません。一生、自己丹誠。つまり、自分自身への丹誠は死ぬまで続けなければならない。

藤尾氏は、師の晩年の様子を書いている。

泰道師は晩年、腰痛により一人で起きるのも寝返るのも難しい状態になった。その頃は夜8時に就寝。夜中の12時までは良く眠れるが、それからが眠れない。ヘルパーさんが来る5時頃までは、一人で専ら思索をめぐらせる時間に充てていた、という。そういう生活の中で師は自己を丹誠すべく、三Kを実践していた。三Kとは、一は感動・感激、二は工夫、三は希望。毎日を感動・感激をもって生きる。そのために工夫をする。すると希望が湧いてくる。

この三Kの実践こそ、まさに自己を丹誠していく要となるものだろう。

最後に、晩年の泰道師が杖言葉にしていた佐藤一斎の言葉が書かれている。

「たとえ視力や聴力が落ちても、見える限り聞こえる限り、学を廃すべからず」

※斉藤一斎 安永元年(1772)10月20日-安政6年(1859) 9月24日 美濃国岩村藩出身の儒学者。

このような文章を読むと、いつも私は大宗匠を思い出す。変わらぬお力で、言葉や行動でお気持ちを伝承されるその強さを拝見していると、まさに自己丹誠を積み重ねておられる、と思えるのである。

高僧であられる泰道師のお立場、生き方を、そのまま真似るのは難しい。三Kを目指すといっても、挫折感や悲しみに襲われることだって、たくさんあると思う。しかし、「老いたるはなおうるわし」ということがあると知り、その可能性に希望を持つと、きらきらとした自分を想像することができる。そして何か、小さなことから積み上げてみるならば、できるかもしれない。師の言葉から想いを広げるこの頃である。

令和3年8月30日 畑中香名子