Posted by on 2021年10月30日 in 風の心
令和3年11月号 風の心

「私のような大学も出ていない年をとった無知な女でも、まだ道端に咲いている花の名前を一日に一つぐらいは覚えることができる。一つ名前を知れば、世界の謎が一つ解けたことになる。その分だけ人生と世界は単純になっていく。だからこそ、人生は楽しく、生きることは素晴らしい。」ココ・シャネル

シャネルという世界的ブランドを確立させた偉大な女性が、自分の本業以外に、そして一つの例として、たとえそれが道端に咲いている花のように小さな、取るに足らないものであっても、そこに目線を向け「知る」ことで人生を謳歌する。「知る」ことの喜びが人生を変えることを教えてくれる。

何かに疑問を持つ、何かを知りたい、そんな気持ちは年齢に関係なく自分の中から湧き出るもの。それはきっかけであるものの、そこから行動し、解決しようとすれば、一つまた新しい知の世界を広げることができる。例えばお茶の点前について考察するにしても、それに付随する成立の歴史や変化の過程、更に当時の時代性や茶の湯のおかれた背景へと視点が広がると、その点前の感じ方が変わり、行い方、使い方も変わる。今の自分が当時の人々の気持ちを想像することで、今どのように点前すべきかが見えてくる。楽しく、素晴らしく、まさに広がってゆくのである。

コロナが少しだけ落ち着いてきて、稽古を再開している。お社中の方々からは様々な声を聞く。気持ちの良い庭の緑の眩しさを感じ、遊びに来た鳥の声やその羽ばたきに癒され、柄杓から落ちる水の響きに、茶室へ戻れた嬉しさが込み上げる。道具・料理・お菓子、どれをとっても、お茶をしているからこそ季節感をよりリアルに感じることができる。綺麗に身支度をして家から出かけていき、先生や友と再会して安心し、自分に学びの場があるということが喜ばしいと。四季の変化に富んだ日本に育まれた、細やかで繊細な心の動きがそこに反映し、総合的に芸術を作り上げる茶の湯が、いかに皆様にとって大きな影響力を持っているかを痛感する。

一方、次のような声もある。

「先生、足がもたないですね。ふらふらしてしまいます。」

「何だか記憶喪失みたいになっていて、これってどうするんでしたっけ。」

「あれっ、当たり前のことなのに、何で間違えるんでしょう。」

暫くブランクが空くと、足腰を中心に身体が順応するのに時間がかかる。できていたことができなくなり、記憶も曖昧になる。エンジンをかけるまでに少し時間が必要で、準備体操的なステップを必要とする。当然のことである。ただでさえ年齢が上がれば上がるほど、できていたはずのことができなくなる上、稽古自体を行えないと、年齢にかかわらず不足の部分が生まれる。これを楽しみながらのんびりと、しかし確実に取り戻していくための、ゆとりとユーモアが今一番大切だと感じている。

そして、年齢に関係なく、ココ・シャネルのように、「知る」ことが人生を面白くしたりわくわくさせてくれることを実感することも重要である。それが実感できれば、更に自然と先へ進んで行くことができる。「知る」稽古場でありたいと思う。

それはつまり、「知る」ことで、教える者自身が面白さを感じ、わくわくしているか、この文章を書きながら、そんなことを自分に問うている。

令和3年10月26日 畑中香名子