先月号よりの続き・・・
学校生活では、朝から晩までお茶に関わり、常に学んでいる状態が続く。今思えばあれだけやっていたのだから、できて当たり前である。かなりハードな毎日の中で、当時学校長であった登三子奥様のご講話は、いつも私たちに一つの道を示して下さった。そんな授業があったことは、何よりの幸せだった。
離れ離れの二つの山は決して会うことはないけれど、人間はいつか折があれば会うことができる。木が動けば枯れてしまうけれど、人間が動けば成長する。今日も色々な方に会えたことに感謝して、それによって成長させてもらったことを有難く思わないといけない。2月29日、最後の授業はこんな言葉で始まった。
学校長の戦死されたお兄様は、お茶が大好きだった。特にお茶碗が好きだったそうだ。「私は着物を着るのが嫌だったから、どちらかというと好きではなかった。」と付け加えられた時の奥様の微かな笑顔は、とても美しかったのを覚えている。お兄様のお茶碗好きのお話から、川端康成は、ある女性が絵志野を好きで、死ぬまでその茶碗でお茶を飲んだという話を執筆していることや、小林英雄は、萩か何かの好きな茶碗でミルクを飲んでいたという事を語られた。奥様のお話には司馬遼太郎、岡本太郎、吉田光邦(科学史家)、中村元(インド哲学)、とにかくたくさんの知識人が登場し、生き方や哲学、著作の話題がとても豊富だった。
続いて次のようなお話をされた。既に茶道というのは穏やかで和やかな存在である。しかし人は、疲れてくると相手との間に線を引いてしまう。本来は線なんて何もないはず、かといって何でもいいわけではない。人との距離、区別やわきまえは必ずあるはず。
淡々斎宗匠は、亡くなった業躰さんに対して「あの人は本当にお茶の寸法に合った人だ」とおっしゃった。また、今の家元(鵬雲斎大宗匠)が淡々斎宗匠に、自分は大きすぎると言った時、「畳に合わせなさい」と返したという。
叶うは良し、叶いたがるは悪しし、というけれど、叶うようにならないといけない。叶う人は自然体であるから線など引かないし、また間合いもきちんととれる、寸法に合ってくる、という意味に私は解釈した。
また一方で、伊住宗晃宗匠は「マザー・テレサは気楽にやっているんだよ。自分らしくすればいいんだよ」と、お母様である登三子奥様におっしゃったことがあるそうだ。叶うことにこだわらず、ありのままで自分らしくすることが、ある意味力を抜いてくれるのかも知れない。
お茶本来の姿は、穏やかなもの、おおらかなもの、いつか皆がそこへ到達するように。各々歩んでゆく道はそれぞれ異なっても、このお茶のご縁によって開かれてゆくことを願っていますと、締めくくられた。
出ず入らず、寸法に合う叶う人にならなくてはいけない、そう強く感じたあの頃・・・あれから27年、今こうして読み返し、登三子奥様の言葉はいつでも私の胸の中にある。穏やかで和やかな、おおらかなお茶を実践し、多くの方々へお伝えしてゆきたいと、改めて深く思う。
令和4年12月23日 畑中香名子


