Posted by on 2023年11月1日 in 風の心
令和5年11月号 風の心

青空はどこまでも続き、秋の白い雲が優しく話しかけてくれていた。海の青さも、波打ち際からすぐ向こうまでと、その先の薄い色の部分と、さらに先の濃い色にグラデーションが続く。深さに伴って色が変わる海の中を想像しながら、温かい太陽の光を浴びてきらきらと輝く海面を見つめ、その偉大な大自然の美しさ、強さと怖さを想っていた。「この海に眠ることになった人生」、当時の方々はそれを考える余裕を与えられていたのだろうか・・・バスの窓から奄美の海を見つめ、そんなことを考えていた。

久しぶりの待光庵研修旅行は、奄美和合の茶会へ参加の旅となった。母が十歳の時に祖父が南で戦死しているため、その母の強い想いから、鹿児島、沖縄、奄美大島を毎年順に巡る和合の茶会に何年間も伺っている。第十三回が、奄美の地へ降り立った初めての回、第16回にも参加、しかし第19回は台風で鹿児島から奄美へ飛行機が飛ばずに、急遽鹿児島旅行へ切り替え。その後コロナの影響で県外からは伺えなかった期間が続き、今回久しぶりに、めでたく第25回に24名で参加することが出来た。

明るく優しい人情のある奄美の方々の笑顔、丁寧なお言葉に再び接した。混雑した茶会にしても、盛りだくさんの懇親会にしても、何か尋ねると本当に熱心に心から対応して下さる。淡交会の方々だけではない。バスの運転手さん、ガイドさん、レストランの店員さん、経営者、道の駅のおばちゃんまでも、何と優しいことか。現地の細い韮を買って帰ろうとすると、何も言わないのに黙って新聞紙に綺麗にくるんでビニール袋に入れてくれる。「袋有料ですが、どうされますか」とぶっきらぼうに聞かれることに慣れていると、この無言の行為がものすごく胸にジンと来た。どんなに時代がシビアになっても、このようにお人様をもてなさなくてはいけないと反省させられ、帰って直ぐに行う好日会茶会での実践を心の中で誓った。

この地の人々の根底には、粘り強さがある。耐えることが出来るという、強さを感じる。実に41の工程を持って作られる大島紬、このように気の長い卓越した芸術作品を作ることが出来る島民性からも、そう思わずにはいられない。大島紬村の製造工程を拝見する工場には、次のように書かれた大きな看板が掲げられていた。

   目的理念

  1. 大島紬を通して人格を高めます。〈礼節・寛容・感謝〉
  2. 大島紬に最大の能力を発揮し魂を打ち込みます。
  3. 規則正しい生活の中で責任ある行動をします。
  4. 世界に通用するファッション産業として研究開発に取り組みます。
  5. 大島紬の貴重な技術を後世に伝承します。

解散はしたものの今も活動を続けている、稲盛和夫氏主催「盛和塾」の端っこの一員として、この地にも経営理念に基づいた仕事が行われていることに深く感動した。人間の営みは、「自分を正し、人を想うこと」なのだと。

千玄室大宗匠が百歳になられたこともあって、令和五年は各地の行事に大変おめでたい寿ぎの思いが溢れている。道具組、スピーチ、人々の歓迎も、嬉しい気持ちでいっぱいである。そんな中、木目の清々しい白木の板に、大きく「鎮魂」と書かれた慰霊碑の前で、お供えの一碗を点てられた大宗匠。生き残ってしまったという忸怩たる思いを背負っての、戦後八十年近い人生は、いったいどのようなものだったのだろうか・・・「この海に眠ることになった人生」を歩んだ同朋を考えるとき、まさに「自分を正し、人を想う」時間だったのではないか。戦後復興の中で茶の湯を世界へ発展させながら、友の死を平和への意味あるものとするために各国にて活動された積み重ねは、粘り強さから生まれた大島紬と重なって見えた。

大宗匠の供茶とご講演、宴会でご一緒した踊りやお写真、お運びの子供たちが活躍する茶会、現地スタッフの様々な大島紬、美味しい鶏飯・焼酎と島唄の響き、美しい空と海の夕日や朝日、西郷南洲の住居、ハブのショー、海辺のレストランでパスタやジェラート、田中一村美術館や島の歴史拝見・・・語りつくせない思い出を皆様と紡ぐことが出来た。唯々、茶の湯に感謝している。

令和5年10月29日 畑中香名子