Posted by on 2023年11月28日 in 風の心
令和5年12月号 風の心

中学生に茶道の授業を行う。挨拶は、「ご機嫌宜しゅうございます。よろしくお願い致します。」で始まる。四月には、はにかみながらやっと言えていたこの言葉を、今となっては自然に発することが出来る。積み重ねる習慣とは、怖くもある素晴らしいもので、全て捨ててまず体験するということの重要性を再認識する。それを繰り返して、自分の言葉にした生徒さんたちは、いつか自分たちが行っていたことの本当の意味を知り、気付いてくれるものと思っている。

今年度はやっとコロナの影響が薄れ、夫々に盆略点前をし、友に茶を点てることが叶った。コロナの間は飲食が全くできなかった。少し出来るようになっても、個別包装の菓子を包装のままお出しして、茶は自分で点てて自分で頂くのみ。他の方へ点てて差し上げることは許されない。中学生に「独座観念」してもらってもピンとこないのは当たり前だ。畳の上で教室のように皆同じ方向を向いて、人の背中を見ながらの点茶、その上包装された菓子を出すのでは、箸を使用したお菓子の取り方、頂き方など殆ど実践できなかった。このような稽古で、本当に意味があるのだろうか・・・いつも悩みながら先を見つめていた。

しかし、それでも生徒さんたちは明るく、「先生、今日のお菓子はなあに?」と言って和室に飛び込んで来る。前の授業が終わるとすぐに来てくれるので、みんな休み時間を和室で過ごす。教科書や道具を部屋の隅に置くと、まず手を洗って、広い広い和室で元気に動き回り、ふと気付くと準備している私たちに向かって「先生、何かお手伝いありますか?」「あ、それやりたい。」と寄ってくる。自分からそう言ってくれるのを待っていた私は、「助かる助かる!ではこのお茶を濾して。」とバトンタッチ。「うわー、お茶の粉綺麗!おもしろーい。」そう言って夢中でやってくれる。すると次週からは、たったったっと廊下を走る音が響いて来て、ガラガラっと入り口の戸を開けると同時に、「先生、こんにちわ。お茶濾します。」と、最初からそれを手伝ってくれるのである。

本当に生徒さんたちは、真っ白なキャンバスだ。学校の授業というのは、茶道部や家の稽古のように、茶道に興味を持って来てくれているわけではない。ほとんどが少し苦い抹茶を頂く習慣も興味もない状態で、茶道って何?から始まる。それがお菓子を頂ける授業と知ると、とても受け入れやすくなるようだ。時折教室での座学になる為「来週は教室です。」と伝えると、「えーっ」と返ってくる。ところが教室でも、一人一人と会話し、質問し、意見を議論して、なぜ茶道をやるのだろうか、茶道ってどういうものなのだろうかと彼女たちが考えるうちに、自分から大きな発見をし始める。毎日の生活に密着する自分の在り方や人への気遣いを、お茶を差し上げることで自然に身に着けていることに、気付いてくれるのである。

今年は少しずつ以前の形が戻ってきている。既に二組に分かれて、片方はお客さんとしてお菓子の頂き方を学び実践する。もう片方は亭主として盆略点前でお茶を点て、茶杓を取ると、お向かいに座る友達に「濃いのがいい?薄いのがいい?」と尋ねる。誰もそのようなことは教えなくても、自然にそんな風に相手の好みのお茶を点てようとする彼女たちを見ながら、思わず笑顔になってしまう。客に元気のない子がいると、「お茶、お代りする?」と優しく問いかける様子に、思わず胸が熱くなってしまう。

まだあどけなさの残る中学生は、大人のような気遣いがない分、本心の優しさで友の事を考え、行動する純粋さを持っている。その純粋さを茶道が引き出し、いい方向へ導いてくれることを想うと、この道の尊さを改めて発見する。「お先に。」「お茶をどうぞ。」本気でそういう彼女たちに、教えられることばかりである。

令和5年11月27日 畑中香名子